luecke

夢見る文系スケートボーディング愛好家

Pontus Alv interview from SOLO skateboard magazine

当初は昨年の5月に発表される予定だったPOLAR SKATE CO.のフル・ビデオ『I like it here inside my mind, don’t wake me this time』がようやく2016年2月11日に遂にプレミア上映され、4月にDVDが発売。まさに待望の作品で、こちらの勝手な思い込みや予想を軽く飛び越えたスピード感と濃密なつくりに度肝を抜かれました。あの多彩な顔ぶれなら90分のビデオだって簡単に作れてしまうところをあえてギュッと濃縮した45分。Pontus Alv自身とマルメの物語は少しトーンを抑えつつ、各ライダーがパートに関係なく随所に登場して何層ものレイヤーがひとつの大きな物語(作品)を構成している。
その世界観をより深く味わう助けになるのでは、と思い、久々にインタビューの翻訳をしてみました。一時は「もうインタビューには応じない」宣言をしていたPontus Alv、でもファンの皆様ならわかってましたよね。ビデオが発表されれば語らずにはいられないことは! その期待通りのインタビューをドイツはケルンに編集部のあるスケート雑誌SOLOがやってくれました。翻訳の許可も快く頂けたのでこちらにて掲載させてもらいます。お楽しみあれ!

INSIDE THE MIND OF
Pontus Alv
an interview from
SOLO skateboard magazine

taken with permission
original interview by Stefan Schwinghammer
all photos by Fabian Fuchs
translated by Katsushige Ichihashi(Luecke)
http://soloskatemag.com/inside-the-mind-of-pontus-alv/?lang=en

フェイスタイムで連絡をとったとき、Pontusはまず拡張を続けるPOLARの本部を案内してくれた。いまやそこにはPOLARのライダーがスウェーデンに来た際に泊まれるようにベッド2台、シャワーにキッチンまで増設されている。「新作ビデオを編集する間にPontusもたまに泊まったりしたの?」と聞いてみたが「それはなかった」と言う。実はPOLARの事務所は家から2分という距離で、これまでビデオを仕上げるときは目が勝手に閉じてしまうまで日夜を問わず編集に没頭してきた彼も今回はできるだけ朝に出勤し、夜には家に帰るという普通の生活リズムをキープすることにつとめたそうだ。Pontusの彼女が、2人がそのヘヴィな制作期間に出会い「これを一緒に乗り切れたら僕たちの関係はきっと永遠のものになるよ」と言われたというエピソードも明かしてくれたほどだが今回はビデオの制作以外にもPOLARの仕事が山ほどあるにもかかわらず、できるだけ計画的に日々のリズムを保って作業したそうだ。しかしiPhoneを持った現代人が完全に仕事から切り離されることはありえるはずもなく、彼は常にチームのライダーたちと連絡を取り合っている。実際に彼はいつだってものごとの中心にいたいし、参加したいし、インスピレーションを与えたいのだ。そういった雑談がやがてこのPOLARの初ビデオ『I like it here inside my mind, don’t wake me this time』に関するインタビューにまで広がった。


          [自宅前でのノー・コンプライ]

流通、販売、商品の制作とすべての工程のインフラを得たいま、僕はライダーたちにも将来、自分で何かを始めてもらいたい、その手伝いをしてあげたいと思っているんだ。ライダーと一緒に成長していくのが大事だし。POLARはプラットフォームなんだよ。もしNils(Svensson)が本を出版してみたいなら僕らが手がけることができる。準備は万端。Tシャツを作ってみたいなら僕らで面倒なことは全部カバーできる。何かを作ってみたいという初期衝動を台無しにするような雑務、工場探しとかさ、そんなことはしなくてすむわけさ。僕がすでにそういった地獄をくぐり抜けてきたからみんなが創作そのものに集中できる環境を用意できる。Bloby’sクルーがブランドを始めたいけどどこから手をつければいいのかわからないというのも無理はないよ。僕も最初はまさにそんな感じだった。

「Inspiring others to inspire themselves(みんなが自分をインスパイアするまでみんなをインスパイアし続ける)」」というあなたの格言ですね。それって今回のビデオのメインテーマでもあるのでしょうか?

最近はすべてを自分で手がける時間がないから、他のひとに参加してもらったり、自分のアイディアを共有したり、ライダーとトリックについて話し合ったりすることを楽しんでいる。監督としてみんなの中に種を植えるような感じ。たとえば自分ではそのトリックを練習する時間がないからHjalte(Halberg)に「ハーフキャブ・キックフリップからバックサイド50-50をやってみろよ」と言ってみたり。そうしたら彼が本当にすぐその映像を送ってくれる。最高だよ。みんな自由でいられつつ、導いてくれる存在がいることを実感してもらえるようなプラットフォームでありたい。とくにKevin(Rodrigues)に関してはサポートしてあげたかった。POLARのメンバーになってくれた頃からすでにすごいスケーターだったけど、まだまだ進化の途中だったから彼を導いてあげたくて。そうしたら彼も自分で新たな方向性を見いだしていろいろと試しはじめた。「この服ってどう? このトリックはどう?」といろいろ聞かれたからいつも「お前のアーリーグラブは超ヤバいから」と応援してきた。そしていまや新しいレベルに達してるよね。みんなを焚き付けるエンジンのような存在になりたい。Fabian(Fuchs)の場合もそうだった。すでに映像や写真のスキルも知識も十分に持っていた彼にある日、古いアニメーションを見せたんだ。僕にとっては神様のような存在で、完全にヴィジュアルだけでコミュニケーションを試みた抽象的な映像作品の先駆者のひとり、Hans Richterの『Rhythmus 21』という作品。もちろんいまだにオリジナルなアイディアもたくさん存在するけど、すべてがやりつくされた時代を生きている僕たちは何かしら影響を受けて、そこに自分なりの工夫を加えるしかないからね。ビデオに使った音楽もそう。すでにスケート・ビデオに使われた曲もあえて含まれている。

そういった過去のスケート・ビデオやその中で使われた曲のどこが好きなんですか?

自分にはOski(Oskar Rozenberg)やDavid(Stenström)たちに過去のすばらしい作品やすばらしい音楽を伝えていく責任があると感じている。Dane(Brady)のパートの曲は古いH-Streetのビデオでも使われていた曲で、Daneの滑りと合わせると本当に感動的だろ? 10歳の自分がH-Streetのビデオをみたときの感動がよみがえる。一度使われたものはもう使っちゃいけないという暗黙のルールのせいでその感動を朽ち果てさせるか、「くそ、もう25年も経ってるからいいじゃないか」とよみがえらせるか、と考えた結果、もう一度この曲をいまのスケーティングと合わせてみんなにみてもらい、新しい世代に歴史を伝えることにしたんだ。実はビデオのクレジットにもこのビデオをチェックしてほしい、とかいろいろ書いてあるよ。いまのスケーターはどの時代のビデオでも分け隔てなく見るからさ。DaneやKevinは古いビデオをたくさん見て過去からインスピレーションを拾い上げて新しいものとかけ合わせている。そうやってアーリーグラブからのレールでのボードスライドみたいなトリックが生まれるわけさ。

私もちょうど世代間についての記事を書いたばかりですが、もう少しその話を聞かせてください。

80年代から2000年代初頭までは暗黙のルールだらけだったよね。90年代はみんな小さなウィールにプレッシャー・フリップをして、決まった格好をしてさ。スケートボードそのものよりもトレンドの乗ることの方が大事だった。でもいまではそんなルールはすべて崩れ去ったと思う。いまは何をやってもオーケー。そしてそれが本来のスケートボーディングのあるべき姿だ。見た目やトリックで他人にとやかく言われることはなくなった。自分を自由に表現できる。ストリート・スケーティングの創成期にMark GonzalesやJason Leeが身の回りのすべてを使って実験していた頃のようにね。ところが当時はなぜかスケートボーディングにもルールや枠組みが必要だと言われだした。スケートボーディングをネクスト・レベルに引き上げなきゃ、という強迫観念みたいなものがあったんだろうね。そして僕たちは結果的にはスケートが退屈なものになってしまうところまで突き進んでしまった。ひたすらありえないようなレールでありえないようなトリックをやることに命をかけてた。みんなソウルを失ってトリックを量産するマシーンになってしまった。でもいまではそのソウルを取り戻したと思う。もちろんいまでもトレンドは存在するけど、スケートボーディングはかつてないほど自由なものになった。バートを滑ってからマニー・パッドで練習してもいいんだよ。そういう自由は大歓迎だし、POLARもいろんな種類のスケーティングがある自由なチームを目指して作ったんだ。スケートボーディングのすべてのスタイルが大好きだから。

スケートボーディングもポスト・モダンに時代に突入したわけですね。もはや何でもあり。

そう、サッカーのようにね。トータルフットボールというコンセプトはいいよね。以前はサッカーも選手がフォーメーションの中で決まった役割を担っていたけど、いきなり「この選手が後ろにいたと思ってたって? いやドカンと得点を決めてぞ!」という調子で循環してプレイするようになり、その予測不可能な状況が見る側にも楽しみを与えている。スケートで言えばスラッピーからフリップやスライドにいくような感じ。すべてをミックスさせて、ボードの種類や服装もすべて自由。すべての要素がかみあう最高の時代になったと思うよ。だからADB(Already Been Done=すでに誰かがその場所でそのトリックをやった)とか「いや、その曲はもう使われてるから」とか「だめだめ、頭が写真からはみ出しちゃってる」なんていうルールをどんどん壊していきたいんだよ。それがどうした?て感じだよ。頭が切れてても写真がヤバけりゃいいじゃん。写真に込められたエネルギーが大事なわけで、その感情の爆発を表現したり、伝えるための手段なんだから誰かが決めた良い、悪い、なんて判断基準はおいておこうよ。

いまがそういった夢のような時代だからこそ、このタイトルになったのですか?

タイトルの元ネタは『Now ‘N’ Later』というPLANET EARTHのビデオのBrian Lottiのパートなんだ。革新的なパートでいまでも十二分に通用するようなモダンさがあると思う。子供の頃はそれに使われた音楽も大好きでね。すごい激しいパートからインストのようなオルタナティヴな曲調にシフトするところとか。Kevinは自分のパートにパンクな曲を希望してたんだけど、ずっと同じような激しい曲調だと編集が厄介だと思って変化のあるこの曲にしたんだ。今回のビデオに関してはみんなに参加してもらい、みんなに自分のパートや曲に満足してもらいたかった。昔みたいに撮影した素材を全部送ってあとはできあがった作品をもらうだけ、というようなことにはしたくなかった。2年もかけて必死にパートのために撮影して、ある日、郵便受けにVHSのテープが届いて、見てみると自分のパートに嫌いなアーティストの曲が使われてる。Cakeの『Distance』。いまだに根に持ってるからね。そういった経験からチームのボスとしてライダーに何をしちゃいけないかは学んだつもり。「うるせぇ、俺はやりたいようにやる!」なんてのは最低だろ。

以前にKevinにインタビューした際、彼がどのフッテージを送るべきか悩んでいると言ってました。送った素材はすべて使われる可能性があると思うと考えてしまうのでしょうね。パートの構成に関してはあれこれ注文が多かったですか?

KevinはPOLARに来る前から僕の大ファンで、彼にとっては僕の作品に参加できることは光栄なことだったらしいよ。もちろん彼はパートを完璧なものにするためにすべてを捧げてくれた。Kevinは考え込むたちで気性も激しい。ひとつのことに没頭する性格で、たとえばスラッピーとか、特定の服装のスタイルとか、こりだすとそれしか見えなくなる。ところが3ヶ月もすると新しいものをみつけて、それまでやってたことはもう古いと思っちゃうんだよね。POLARのパートを撮影し終えたあとにスキンヘッドにしちゃって、スケートのスタイルまで変えちゃったくらい。フル・レングスのビデオは進化の過程を見せるものだけどね。Oskiの文字通りの成長も見られるよ。撮影が始まった頃は身長がいまより30センチ低かったからね。そういった過程が作品に物語をあたえ、深みを生み出す。

今回のビデオとこれまで作品のちがいは何でしょう?

同じだよ。毎回、前よりもいいものを作ろうと必死にやるだけさ。今回は素材がたくさんあってより好みする余裕があったからスケーティングのレベルは以前よりも高いと思うけど。誰の、と名前をあげるつもりはないけど、大量のフッテージを送ってくれたにも関わらず、内容が気に入らなくてほとんど使わなかったライダーもいる。いいひとだと思われるためだけに興味の持てない素材を使うことはできないからね。数年分のスケーティング素材、スーパー8で撮った素材、アーティスティックな素材の山を前にして、編集という旅が始まるんだ。素材が何を見せていて、自分が何を見せたいかを自問する。ずっとやってみたかったことのひとつに自分の人生を変えてくれたスケート・ビデオの歴史に敬意を表することがあったけど、旅がどこに行き着くかは最後までわからない。でも結局はどの作品もその時点でのスケートボーディングに対する自分の精神状態を映し出すものになるよ。

ビデオの編集の他に自分のパートの撮影、そしてPOLARの運営もあったわけですが、そういった要素も作品に影響を及ぼしていますか? 

スウェーデンと周辺に住んでるライダーの撮影はすべて自分が担当したけど、POLARはインターナショナルなチームだから全員と毎日撮影するわけにはいかなかった。遠くに住んでいるライダーにはそれぞれ別のフィルマーがついていたよ。そこで一番困ったのが素材が10から15種類の別々のカメラとフォーマットで撮影されていたことなんだ。VXでのNTSC方式からありえないフレームレートのHDまであって、Aaron(Herrington)なんて2年分の素材のうちフレームレートのせいで使えたのがトリック3つだけだった。こっちで素材を変換するのは無理だってことが判明した時点でAaronはパートを撮影しなおすしかなかった。でも彼は世界一、生産的なスケーターでパートをひとつ仕上げるなんて朝飯前。1ヶ月もあれば十分なんじゃないかな。彼なら一日中ヘヴィな撮影をこなせる。Daneの場合はVXで撮影された素材を22%引き伸ばす必要があったからフッテージの画質が最初の段階でいまひとつだった場合、問題も大きくなった。僕が映像にかけるフィルターの数々はAdobe Premierの性能の限界まで引き出したと思うよ。このビデオのリタッチ作業は狂気だった。作品を見る側にはそれぞれの素材の色をいじっているとかそういった制作工程に関しては気付かれたくないよね。ひとつの作品として受け取ってもらいたい。でもたしかに色々と大変だよ。質問の通り、僕はツアーに出てライダーを撮影する以外にもチーム・マネージャーとしての仕事から経理までPOLARのすべてを管理する必要もある。そしてスポットを前にして「うわ、これはヤバいスポットだ! 10分くらいウォーミングアップすればここでキックフリップを試せるかな」なんて思っていると次の瞬間にHjalteがウォーミングアップがわりにそこでキックフリップしてる、なんてことがおこる... そうなったら僕は座り込んで撮る側にまわるしかないよね。年寄りの自分とキャリアの絶頂にいるライダーたち。たまに彼らがすごすぎて一緒には滑られないと思うこともあるよ。

それでも今回もあなたは良いパートを残せましたよね。

実はもう自分のパートは作らないつもりだったんだ。絶対に無理だから、と自分に言い聞かせようとした。でもやっぱりやってみたくなって昨年の春から秋にかけて僕とフィルマーのThor(Ström)だけで撮影するソロ・ミッションの機会を何度か設けた。毎回、一週間ほど出かけて。でも大変だったね。POLARのプロダクツの制作、毎期のリリースにボード・グラフィックのデザイン、カタログ制作とカンパニーを運営し続けるだけでもすごい仕事量なのに同時にスケートして、撮影して、編集もして。狂ってるよね。ひとりで仕事を10個かかえてるみたいだ。

このインスタグラム時代にあって、フル・レングスのビデオを作る意義は何だと思いますか?

そりゃちょっとツアーに行って3ヶ月くらいで撮影して10分ほどのクリップを作ることもできるよ。これまで2つほどそういうプロモ・ビデオを出したわけだし、実際、その方法でやり続けようと思っていた時期もあった。ああいう小作品というかパワフルなプロモ・エディットを見るとスケートしたくなるよね。でもフル・レングスはやっぱり別格でカンパニーにとっても、ライダーにとっても最終関門だと思う。プロモ・ビデオに参加するためなら見せ場のハンマー・トリックを2つとラインをいくつか撮れたらできあがり、という感じだけど自分のフル・パートを作るということはものすごい労力をかけて自分のスケーティングと向き合うことを意味する。だからこそ新たな深みも獲得できる。そしてブランドとしても全体像を提示することが重要で、物語を語るにはどうしても45分という時間が必要になる。これでファンもようやくライダーを存分なまでに堪能できるし。Hjalteのファンなら彼だけを5分間、たっぷりと味わえる。でもこれは決して簡単なことではない。誰にでも45分のフル・ビデオを作れるわけじゃないからね。VANSを見てみなよ。VANSのシューズは大好きだけど、あのビデオは見てられなかった。何百万という予算と、5年もの歳月をかけたのにできあがった作品はあんな目もあてられないものになっちゃうだなんておかしいよね。最高のスケーターに最高の機材、そして膨大な予算とすべてが揃っていてもダメなときはダメなんだ。フル・レングスは最初から最後までとちゃんと物語を成立させないと。Andrew Allenのパートはヤバかった。そしてDustin Dollinも良かったけどそこからAVE(Anthony Van Engelen)にとばしちゃうんだよね。でもフル・レングスはそうやってとばして見るものじゃないだろ。自分の好きなパートだけをつまんで見るんじゃなくて、『Video Days』や『Hokus Pokus』みたいに一度プレイヤーに突っ込んだら最後まで丸ごと見るのがフル・レングスってものさ。

いつか人々がネット上にあがっている無数の短いクリップに飽きてフル・レングスが再び主流になる時代が来ると思いますか? 情報過多時代はもうそこまで来ていると思いますか? 

情報過多に関してはとっくの昔に一線を越えてしまっている。どのブランドも毎月新しいクリップを発表しなきゃいけないと思っている。新商品、新しいシューズのリリース、新しいパートに新しいアレだか何だか。毎日市場に何かを投入し続けている。いいかげんに誰かが考えるべきだと思うよ。「これってヘルシーだと言えるのかな? 世界中にスケートボーディングが溢れかえっているこの状況って大丈夫なの? 世の中に出回っているうちの98%はどこかのタイムラインにのせられた、ただ滑っている映像にてきとうな曲をあてがっただけのシロモノだぞ」ってさ。でも誰も考えてないよね。「ちょっと待てよ。スケートボーディングってこんなものじゃなかったはずだ。曲にのったハンマー・トリックがスケートのすべてかい? 誰かもう少しアーティスティックな作品を作ってもいいんじゃないの? ちゃんと世界観とか色彩があって、もう少しディープなもので、つながりが感じられるような、魂のこめられたようなもの。」なんて思うんだけど。僕はNeil Blenderがスーパー8で撮影した落書きとかロボットのおもちゃとかビーチでの生活を見せてくれるようなALIEN WORKSHOPの古いビデオとか大好きだけどね。そういうたわいもないシーンが実はスケートだけでは伝わりきらない要素を見せてくれるのさ。もちろん誰だって自分の好きなスケーターのヤバい滑りを見るのが一番好きだろうけど、僕はそのスケーターの内面や彼が生きるカルチャーについても知りたくなる。ただ誰かがすごい所から飛び降りるのを見るだけだなんてつまらないよ。もちろんそういうパートで良いものもあるよ。うまく作られていればすごいパートになる。でも僕はそれ以上のものが見たい。僕が見つけた法則があって、これ内緒だよ、人間の脳が集中してスケートボーディングを見ていられる時間はたった30秒なんだよ。それを越えると何かしらの休憩が必要になる。つまりアーティスティックなシーンや他の要素をはさみこんであげないといけない。そうやって脳が休める瞬間を与えてあげるのが大事でひとは一瞬でも休めたらまた集中モードに入れるからそこからまたスケートのシーンをブチかませばいい。僕もよく好きなビデオを見ているのに集中できなくなることがある。情報が多すぎるんだよね。脳がもう受けつけなくなっているのにビデオの方は無理やりにすすめようとする。「ほら、まだまだあるぞ! どうだ、これヤバいだろ!」という調子だけどもはや何の意味もないんだよ。ハンマー・トリックがぎっしりつまった3分間のクリップを見たところで脳がヤラレるだけで見終わった瞬間から自分が何を見ていたのか忘れてしまう始末さ。とにかくテンションの高いスケーティングをものすごい量見せられてもさ、見終わるとまずその激しいパートが終わってくれたことにほっとしない? そうしてぐったりしてるところに2曲目が来る。スローモーションのパートにさっきよりもさらにすごいスーパー・スーパー・ハンマー・トリックの応酬。いま出回っているビデオの98%はそんな風に思えるんだよね。見ていると気持ち悪くなるし、自分がダメ人間に思えて仕方ない。もう少なくとも1週間はスケート・ビデオなんて見たくない気分にさせられるし、ビデオに出てくるトリックで自分にできそうなものがひとつもないなんて最悪だよ。だから普通の、人間味のあるスケーターが見ていて楽しいと思えるようなことをスタイリッシュにやってくれるというのがスケート・ビデオにとって一番大事な要素だと思うんだよね。近所でスラッピーの50-50をしてるシーンとか最高じゃない。こっちの気持ちもアガるようなフィーリングと音楽、そして街に飛び出したくなるような衝動。自分にもできるかも、と思わせてくれるようなトリック。スタントマンが演じているヒーローもののハリウッド映画が見たいんじゃない。ビデオに登場するスケーターとつながっている感覚を味わいたいんだよ。すごいスケーターたちがスケートボーディングのレベルをどんどん押し上げていくのもすばらしいと思うけど、ビデオを見る側としてはまったくつながりが感じられない。そしてビデオにとってもっとも大事なのが見る側とつながることなんだよ。そして強弱も大事。スケートボーディングには独自のダイナミクスがあるんだ。ちょっとチルな、静かな瞬間からドカンとヤバいハンマー・トリックが炸裂するのが一番効果的で、そこからまたわかりやすい、共感できるようなトリックに戻ってからまた次のハンマー・トリックが来ればトリックもより際立つ。ハンマー・トリックを200個連発したところで何ひとつ生まれないよ。

すでにHans Richterや過去の名作スケート・ビデオから多くのインスピレーションをもらったと言ってますが、他にも今回のビデオに影響を与えたものはありますか? 

ビデオ作りは毎回、旅みたいなもので計画なんて立てられない。ただ何が起こるかを見守るしかない。とにかくライダーたちと滑りに行くのみ。その現場にいるのが一番好きだし。コーチとか監督みたいな気分さ。たとえばHjalteがこれをやってみたいと言ってきたとする。そうしたら僕は「うん、悪くないけどトリックの流れがいまひとつじゃないかな」なんて助言をするんだ。バックサイド・キックフリップからのハーフキャブ・キックフリップにはフローがあるけど、バックサイド・キックフリップからフロントサイドのハーフキャブ・フリップだとフローがないだろ? 自分の体がどういう風に回って、カメラがどこからそれを撮っているのか、常に動きを意識しないとね。トリックの難易度があがるかもしれないけれど、絶対にその方がよいフッテージになると思うよ。一緒に撮影するときはいつもそうやって細かいところでアドバイスするようにしている。

常に撮影に同行できないあなたにとってはPOLARのWhatsApp(チャット・グループ)があって助かったことも多かったのでしょうか?

そうだね。みんなまずそこにフッテージを送ってくれて、そのフッテージを見て他のみんなが「うわ! それヤバいね」と自分たちも撮影に行きたくなる。まさにチームの団結の場で、僕はその中心でみんなの様子を見ていられる。トリックが超ドープだけど撮影の仕方がいまいちだな、なんて言うとそれを撮り直してくれることもあった。そういったコミュニケーションを通して僕も常に参加し、自分の意見も反映してもらうようにした。ほとんどのフィルマーは僕の好みを理解してくれているからこの方法でもうまくいく。そういえば先にスポットの映像だけ送ってくれて、どうやって撮るのがいいか相談されたこともあった。そうやって常にみんなで最高のフッテージを作ろうとしてきたんだ。スケーティングは50%が滑りそのもの、そして残り50%は撮影方法にかかっているからね。スケート・ビデオを見ていてラインがすごくいいのに撮影の仕方がいまいちだなと思うことがよくあるよ。いままでに何度もラインをただ後ろから追いかけて撮っているのを見たけど、それって最悪の撮影方法だからね。僕がいつも心がけているのは見る側に「先」を見せないようにすること。後ろから撮ってしまうとスケーターがどこに向かっているのかがわかるし、ボード上の足の位置で次のトリックが予想できてしまうだろ? だからラインはいつもスケーターの前から撮りはじめる。そうすると見る側は展開を予想できない。そうやって情報量を減らす、ものごとを隠すことによってその後の展開がよりドラマチックに、よりエネルギーのこもったものになるわけさ。この手法に関してはズームや顔のアップを多用する(Will)Strobeckが最高にうまいと思う。シーンが汗だくのSage(Elsesser)の顔の表情から始まって、ズームが引いていくとフルスピードでレールをグラインドするところを映し出す、とかね。大してスケートがうまくないフィルマーが撮ったスケート・ビデオが多すぎるんだよ。なぜか有名ブランドの専属フィルマーになっちゃったようなひとがそこのスケーターについていこうと必死になっているだけ、とかさ。(こんなネガティヴなことばかり言って)ごめんね。でもこういうビデオにとってはものすごく大事なことなんだよ。もちろん、後ろから撮るしかないようなケースもある。でも僕ならできるだけスケーターに食らいついて、並走したり、またあえてスケーターを前に行かせてから再びその前に回りこんだり、といろいろするよ。MAGENTAがもっとも得意とするあの手法さ。フィルマーが常にスケーターのまわりを動きまわって映像に刺激を加えるんだ。


http://soloskatemag.com/inside-the-mind-of-pontus-alv/?lang=en



久々のPontus Alv節、いかがだったでしょうか。

Pontus Alv自身とマルメの物語は少しトーンを抑えつつ、各ライダーがパートに関係なく随所に登場して何層ものレイヤーがひとつの大きな物語(作品)を構成している。そのあまりに速い展開と、内容が濃密で一度には消化しきれないこと、そしてこれまでの作品は自分にとってほぼ初めて見るシーンばかりで構成されていたのに対し、今作はすでに雑誌やPOLARの広告にて写真という形で体験した場面の映像が多数登場することもあって前作を初めて見たときほどの衝撃は正直、受けなかったのですが、これはおそらく見れば見るだけ好きになっていく1本だと思いました。あるいは内容が良すぎて「もっと見たい!」と思ってしまうことと「物足りなさ」と勘違いしているのか...

DVDもあえてチャプターにわかれていないのが昔のビデオテープぽくて面白い。きっと今回はいわゆる「パート」という概念を崩したかったのでしょう。またインタビューでも語っているように、あえて昔のスケート・ビデオに使われた曲でも遠慮なくサウンドトラックに使っています(他の曲もPontusの趣味を反映したニューウェーヴィーなものばかりでニンマリとさせられる)。そして過去の彼の作品に登場したイメージ・シーンもいくつか再登場します。前2作にもそういった要素はありましたが、今回はより大胆です。

「スケート・ビデオはこうあるべき」という暗黙のルールをやぶり、映像作家としてのPontus Alvのこれまでのすべてをこめた到達点でいて、POLAR SKATE CO.としては高らかにスタート地点に立った作品ではないでしょうか。この先も楽しみでなりません。