luecke

夢見る文系スケートボーディング愛好家

PONTUS ALV interview from Dank magazine #3

ノルウェーオスロ発信のスタイリッシュすぎるスケート・マガジン、Dankの第三号が発売になりました。今回は日本でもtwelve books( http://twelve-books.com/ )というアート系の出版〜卸屋が流通を手がけることになったそうで、5月中には輸入の本や雑誌を扱う本屋やアート系のお店にもDankが並ぶかもしれません! 是非とも手に取ってみて下さい。雑誌は全編ノルウェー語で書かれていますが、今回も英語訳を掲載したミニ・ジンが付録に付いています。

そして恒例の翻訳、まずはPontus Alvのインタビューから。誌面にはNils Sevensson撮影のヤバい写真もたくさん載っていますが、それは雑誌を手にしたときのお楽しみ、ということで本文のみこちらに掲載します。内容的には... この数年PontuS自身が頻繁にブログであれこれ発信してくれるのでびっくりするような情報やいい話ってあまり出てこないのですが、アーカイヴとして残すことに意味があるだろうと信じて今回も翻訳してみました。意外とデッキのデザインの由来が一番面白いかも。お楽しみあれ!

PONTUS ALV INTERVIEW
taken from Dank Magazine issue 3 with permission
original interview by Gaute W. Skare
translation by Katsushige Ichihashi(LUECKE)
http://dankmag.com/

POLAR
Diametrical opposites
失敗の恐怖、アイディア、スカンジナビアの天気、
フィードバック、友達、そしてチーム・ライダーたちについて

1年前のインタビュー(Dank創刊号)ではいつか自分のブランドを立ち上げたいと言ってましたが、Polarはどんなブランドで、どうやってはじまったのですか?

できるだけ手短に説明するように頑張るね。まず、僕は『The Strongest of the Strange』を作った。そしてその後に5年かけて『In Search of the Miraculous』を作った。人生10年分をこの二つの作品に捧げたわけだけど、そこには自分が何者であって、スケートボーディング、人間関係と自分が手がけるプロジェクトがどういうものであってほしいかという想いがつめこまれている。ビデオを観れば僕のスケート観がすべてわかるよ。『The Strongest of the Strange』は65,000枚を雑誌の付録としてほとんど無理矢理この世に送り出したから観た人とつながることもなく、作品がスケート・シーンに与えた影響なんて知らないまま完全に孤立して自分の小さな世界にこもって次の作品を作り続けた。でも『In Search of the Miraculous』は自分のホームページを通じて発売したから注文してくれた人たちと直接やりとりできた。この数年で世界中の人たちとやりとりをしてたくさんの友達ができたよ。みんなメールをくれて自分の物語を分かち合ってくれるんだ。作品を観てDIYスポットを作りはじめた人もいれば、映像を撮ったり、写真を撮ったりする人、または別の表現方法で何かしら自分のプロジェクトをやりはじめた人。あるいは旅をしたり、違うことをやってみたりすることで人生に何か新しいものを取り入れようとしてくれた人。みんな作品にインスパイアされた人たちなんだ。
そういう反応を見て「世の中には僕のやってることに共感してくれる人がいるんだ!」と初めて気付いたんだよね。これまではビデオしか作ってなくて、他のものを売ったりしたことはなかったんだけど、スケート・カンパニーをはじめて少しでも利益が出れば、それで自分が今までやってきたことをやり続ける資金が調達できるんじゃないかと思ったんだよ。これまでの撮影やツアーはすべてただ働きみたいなものだった。作品にはものすごい時間とお金をつぎ込んできたけど、そろそろ何かしら利益も生み出さないと先がないぞ、と思ってね。
あとMAGENTAやPALACEにもすごく勇気をもらった。彼らのやっていることを見て感動したよ。シーンの反応も良かったから自分でもあんな風にやってみたいと思った。彼らはスケートボーディングと自分達の理想にすべてを捧げているよね。僕も同じ姿勢でビデオを作ってきたから、同じように、でも今度はスケート・カンパニーという形でやってみることにした。スケーターに商品を買ってもらうことで次のビデオや新しいプロジェクトの資金を生み出せたらいいなと思ってるんだ。POLARは僕がこのスケート・カルチャーの中で様々な表現を続けるための土台なんだ。CLICHEをやめてからずっと自分でブランドを立ち上げることを夢見ていたけどなかなか勇気が出なくてね。自分にとってはすごく大きな意義があることだし、理想もすごく高かったから失敗するのがこわかったんだよ。

POLARが実現したのはいつだったのですか?

最初はStefan Narancicに相談したんだ。子供の頃からのダチだったし、彼はすごく才能のあるグラフィック・デザイナーだったから。名前も二人で考えた。彼がロゴを書いてくれて「うわ、やばいロゴもできた!」て感じになって、そのまま5、6ヶ月間ひたすらデッキのデザインを作り続けた。必死にイラストレーターの使い方をおぼえたよ。でもPOLARの誕生日がいつかと言われたら2011年の5月1日だろうね。ハンブルグに行って、最初のデッキを作った日なんだ。

POLARという名前には何か由来があるのですか?

僕のブログを見てくれていたらいかに長い間、名前で悩んでいたかがわかると思うんだけど、まずは3年前かな、何かはじめたいと思って当時はPARANOIAという名前にしたかった。あとはPOSTとかSTAY LOWも候補にあがっていた。その後にGREYがいいと思ったけど、その名前はすでにスケート雑誌に使われていたんだよね。でも最終的にはPOLARに行き着いた。だって僕らは北欧に住んでいて北極圏に近いからさ。冬のマルメの雪と凍える寒さは北極圏にいるような気分だった。さらに言葉の意味を深読みすれば「極」は「両極端」の「極」も意味するだろ。白と黒、陰と陽、喜びと悲しみとか、様々なものに内包されている相反する要素こそがPOLARという名前の一番面白いところだと思う。僕は躁鬱病っていうほどじゃないけど結構気分の浮き沈みが激しい方でね。やる気に満ちあふれた日もあれば落ち込んで何もやる気が起こらない日もあっていつも上下を繰り返してる感じなんだ。そういう矛盾した要素も名前に込められるのはいいなと思って。まぁ、北欧に住んでいるスケーターはみんな同じ悩みを抱えているんだよね。5ヶ月間は冬に押しつぶされて家の中で過ごさなきゃいけなくて、外でスケートできる期間は7ヶ月しかないからさ。

Dankの創刊号ではスケート業界のいやな面についても話をしていましたが、ブランドをはじめるべきかどうかをじっくり考えているときにそのいやな面がある意味モチベーションになったようなことはありますか?

POLARは自分が気に入らないすべてのものごとの対極にしようと思っている。スケートはものすごく商業的になってきているけど、僕はスケート・カンパニーがスケーターの手によって、スケーターのために運営されている方が絶対いいものになると信じている。でも現在、この業界でそういう会社が占めている割合なんてほんの数パーセントだ。そういう状況に対して何もせずにただアレも嫌い、コレも嫌いって言い続けるか、自分のできる範囲で何か行動に移すかは自分次第。そりゃ業界はつまらないし、規制だらけだ。わけのわからないルールばかり。僕にとってはスケートボーディングは創造的で、もっと生き生きとしていて、野生そのものみたいな存在なんだ。でもいざ自分で何かをやるとなると簡単には行かない。家でふんぞり返っていろんな本や雑誌をめくっていたら「デッキのデザインくらい誰でもできるでしょ」なんて思うだろうけど、いざやってみると机の前に2週間座ったまま「う〜ん」と固まってしまうよ。実際に何かをやってみることは何もせずに文句だけ言っているのとは本当に大違いなんだ。

POLARをただのコンセプトや理想からどうやって具現化させたのですか? うまく商売にできるものなのですか?

商売第一でPOLARをやっていたとしたらきっとロゴだけをプリントしたデッキや低価格のデッキとか、もっとわかりやすくて受けのいいものを作るだろうね。自分やチームのメンバーに給料を出すために、そして商売として続けていくためにもみんなに気に入ってもらいたいし、 利益を生み出すためにも商品は売れてほしい。でもね、お金はあくまでも自分の夢や想像を形にするための道具でしかないんだよ。POLARはまだ小さな会社で、僕らは無償で働くことでなんとか回しているけれど日々成長し続けている。POLARの商品を扱ってくれる代理店はどんどん増えているし、規模も大きくなり続けている。あと2年すればもっと自由にやりたいことができる分だけの利益も出せて、スケート・シーンを支えたり恩返しできればいいな、なんて思ってる。でも会社を運営する中でビジネスという側面はやっぱり退屈なものだけどね。電話に、注文、請求書を起こして支払いをして... 利益って本当に退屈な存在だよ。

北欧、ヨーロッパ、世界と夢はどこまで膨らむのでしょうか?

最初は北欧の国々、スウェーデンフィンランドノルウェーデンマーク、あとはドイツやポーランドの北部で活動できればいいな、と思っていた。ここにちゃんと根付いて、POLARのイメージをがっちりと作り上げたかった。どんな会社にも拠点となるマーケットがあるだろ。UKのシーンもマルメの雰囲気やラフな気質と共通するものを持っているかもね。理想としてはちょっとした給料、まぁ月に10,000スウェーデン・クローネ(約13万円)くらい出せて、チームのライダーの面倒もみれて、事務所の家賃も払えて、たまにツアーできれば最高なんだけどね。そういった目標を達成できて、それこそさらにそれ以上の利益が出れば本当にボーナスみたいなものだろうな。最初の目標は事務所を借りられるだけのお金を稼ぐことだった。そして今は給料が出せるようになることを目指している。その次はまた考えるよ。どんな商売にとっても成長は悩みの種だよね。早すぎる成長と経済的な成功は会社の個性をすべて失ってしまう危険性をはらんでいるからある程度のバランスを保つのが肝心なんだ。まだそこまでは考えていないけどね。今まで通り、ただ自分の心と理想に忠実に歩み続けるだけ。それで今までうまくやってきたからね。会社は楽しいからやっているだけさ。

なにか予想外なできごとはありましたか?

当初はPOLARはあくまでもローカルな存在になるだろうって思っていた。マルメが中心で、あとはスウェーデン国内で何店舗かに商品を置いてもらえたら、と思っていたらたった3ヶ月で5カ国での流通が決まって、デッキの生産枚数も最初に計画していた数とは比べものにならない規模になっていた。みんな長い間これを待ってくれていたみたいだった。ヨーロッパ中の雑誌、スケーターや代理店がサポートしてくれた。そういう良いつながりがあるのは本当にありがたい。ただ、ブランドってもっとクリエイティヴな作業に時間を使うものだと思ってたのに実際は人との連絡、発注や締切に追われるばかりなんだよね。時間の70%はデッキの梱包と発送、営業に請求書や支払いの確認に消えていく。もちろんすべて必要な作業だけど最初に想像していたものとは大違いだったよ。

これまで北欧のブランドがシーンにあまり大きな影響力を持てなかったのはなぜでしょう? ヨーロッパでもトップ・クラスのスケーターたちが地元のブランドに加入せずに、アメリカの有名なブランドのヨーロッパ・チームに安住してしまうのはなぜだと思いますか?

ヨーロッパのスケート・シーンにとって問題なのはアメリカがすべてを牛耳っていることなのさ。MAD CIRCLEにいた頃に僕は実際にアメリカに行ったけれど、やっぱりアメリカにはカッコいいグラフィックのデッキを出してて、すごいチームを持っていて、最高のビデオを出してる強力なブランドがたくさんあるよね。ALIEN WORKSHOPにDELUXEのブランド、GIRLなんかは何をやっても最高だ。だからスケーターとしてはどうしても彼らのような存在を目指したくなるのもわかる。でもCLICHEもBLUEPRINTも、そしてHEROINも多分まだヨーロッパを拠点にしつつ、ちゃんと成功しているよね。そして今だとMAGENTAやPALACEもそのレベルに登りつめようとしている。みんな自分たちの個性を打ち出してここでやっていくことを宣言している。そうやってヨーロッパのブランドが自分たちのチームでスケートすることには価値や意味があることをスケーターたちに示さなきゃいけないと思うんだ。スケートでキャリアを築くのにヨーロッパを離れる必要なんてないことを証明してあげないと。そのためにはアメリカのブランドと同じだけの商品、お金、ツアー企画を提供できるようにならないといけない。もっと自分たちのシーンに働きかけないとね。ヨーロッパのシーンにはまだまだ改善の余地があるけど、頑張るよ。もっといいスケーターがたくさん出てくればシーンもさらに強くなる。僕に言わせればヨーロッパのスケーターたちの方がよっぽど個性があると思うし。ALIEN WORKSHOPのフロー・ライダーでフィンランド出身のEniz FazliovやPOLARのメンバーになってくれたのに長年の夢だったフローとしての誘いを受けてHABITATに加入したGunez Ozdoganなんかはやっぱりまだアメリカを目指しているのに、受ける扱いはベンチ入り程度。どう頑張ってもBチームから抜け出せないんだよ。個人的にはアメリカのブランドのヨーロッパ・チームに在籍しても本当に先は知れていると思う。でも僕に何ができる? POLARが大きくなったらみんな家に帰ってくることを願うばかりだよ。

あと最近はショップが自分たちのデッキを出すのが流行っていますが、このトレンドについてはどう思いますか? 

最悪だね! いい傾向だとは言えない。今まではブランク・デッキ(ブランドのない、無地で安価のデッキ。品質は善し悪し様々あります)を売っていたのが今度はショップ・ボードになったわけだ。スウェーデンのショップだと299スウェーデン・クローネ(約3900円)で売っている。安いけど、間にブランドや代理店をはさんでいないから店にとってはそれでも十分な利益になる。今だとPOLARのデッキ1枚でそういうショップ・ボードが2枚買える。アメリカのブランドだと輸入ものになってさらにデッキの値段はあがる。そりゃキッズ達はスケートしたいだけで、その気持ちは尊重したい。でもスケート・カンパニーの立場にいる僕たちとしてはこのスケートボード・カルチャーを守り続けなきゃいけない。プロ・スケーターに給料を払いたいし、ビデオを作ったり、グラフィックもいいものにしたい。だって想像してみてよ、もしもGIRLやCHOCOLATEのビデオ、Mark GonzalesにKROOKED、TRAFFICや東海岸のいろんなブランドが存在していなかったらスケートボーディングはどうなっていたと思う? ブランドからデッキを買うことはこのカルチャーを支えることを意味するんだ。もしもショップ・ボードしか存在しなかったらつまらないことになる思うよ。キッズは安いデッキも欲しいけど、すごいビデオも観たい? だったらGIRLのすごいビデオを観るためにはGIRLの商品を買わなきゃいけないことを理解しないと。ショップは良いブランドをサポートし、スケーターたちが集まる場として機能し、無限に広がるスケートボード・カルチャーのすべてを見せてくれるような場所にならなきゃいけないのに、安いショップ・ボードを売ることで自らシステムを破壊してしまっている。僕はショップ・ボードなんて無くなればいいと思っているよ。デッキ自体のクオリティには問題はない。でもグラフィックやそのデッキが意味するところはスケートボード・カルチャーには何の関係もない。なにも貢献していないよ。本物のブランドがちゃんとした商品を作る方がいいに決まっている。『Disposable』のページをめくってみれば1990年のスケート・ショップの壁にどんなものがかかっていたかがわかるよ。ショップに入るのはギャラリーに行くようなものだったよね。

2011年は忙しい1年になりましたね。POLARを始動させたばかりではなく、『Pushed』や『Format Perspective』といった作品にも出演しましたし、『In Search of the Miraculous』での受賞、そしてあなた自身もKINGPIN誌上でヨーロピアン・スケーター・オブ・ジ・イヤーにもノミネートされました...

忙しいのはいいことだ! いろんなプロジェクトが進行しているし、常に動き続けている。でも参加するプロジェクトは本当によく考えて選ばないと。『Pushed』がやばい作品になりそうなのはわかっていたし、『Format Perspective』は友達のフォトグラファーNils Svenssonをフィーチャーするものだったから彼のパートに協力できたのは嬉しいよ。そして『In Search of the Miraculous』で賞をもらえたのはただただ素晴らしい経験だった。これは僕個人だけじゃなくて、ヨーロッパのスケート・シーンにとってもかなり大きな一歩になったと思う。僕たちにだって世界基準のものが作れることを証明してみせたんだ。さっき、ヨーロッパを離れてしまうスケーターたちのことを話題にあげていたけど、こうやってローカルなブランドが成長を遂げて世界中の人が少しずつヨーロッパにもクールな動きがあることに気付いていくのを見ればスケーターたちだってきっとここに残ってキャリアを築こうとするようになると思うんだ。

ビデオ2本を制作する過程で生まれたネットワークの中からPOLARチームが形成されたと思うのですが、その輪以外からもスケーターをチームに招き入れるつもりはありませんか? たとえばノルウェー人のスケーターなどいかがでしょう?

POLARチームはすでに大きすぎるくらいだよ。さらに誰かを入れるなら本当にユニークなものをチームに持ち込んでくれるような人じゃないとね。希望リストの第一位はEnizだ。それかFernando Bramsmarkかな。いまPOALRのプロはHjalte Halberg(デンマーク/コペンハーゲン)、Michal Juras(ワルシャワ/ポーランド)と僕の3人。あと最近加入したのがTjark Thielker(ベルリン/ドイツ)で、彼にはこの先もっとたくさんPOLARに関わってもらいたいと思ってる。David StenstromとOskiはキッズ部門、他にはダチでアートワークも手がけてくれるJacob Ovgrenや他にもフロー・メンバー的な友達が何人かいる。たとえばJohan Lino-Waadとか。彼は今ちょっとスケートから離れているけど。公式にはPOLARのメンバーは7人だ。もうこれでも多すぎる気がする。理想は5人くらいだね。POLARに加入したいって言ってくれる人が本当にたくさんいるけど、今はもうこれ以上の人数をちゃんとサポートできる気がしないし、チームが大きくなりすぎるのもいやなんだ。でもチームには北欧の各国を代表する人がいてほしいからいつかノルウェーの人にも入ってもらいたいね。まだいい人を見つけていないだけだよ。チームのライダーになるには人間的にもいい奴で、滑りもばっちりで、なおかつ他のメンバーとの相性もよくて、と様々な条件をクリアする必要があるからね。 (その後、ベルリンのJan Kliewer、コペンハーゲンのPeter StegeとロンドンのJerome Campbellもチームに迎え入れられている)

POLARの次の動きは? ツアーですか? 新作ビデオでしょうか?

まずはホームページを仕上げないとね。僕たちの活動ぶりがまだちゃんと伝わっていないみたいだからこのブランドをネット上できちんと披露できる場を作らないと。あとはPALACEの連中ともよく話していて今年は何か一緒にやろうと思う。MAGENTAとも何かできるかも(5月にはPOLARとPALACEの2チームでの北欧ツアーが実現しました)。そして2012年最大のプロジェクトはまちがいなくPOLARのファースト・ビデオだろうね。素材はたくさん溜まっているんだけど、ウェブ・クリップとして小分けに発表するようなことはしたくないんだ(と言いつつも2月末にYouTubeにて小作品のプロモ・クリップを発表)。年末には部屋にこもって編集にとりかかるかな。作るからには絶対に革新的な作品にしたい。グリーン・スクリーン(映像を合成する際にスタジオの背景に青や緑のスクリーンを張って撮影する手法)もあるし、Stefanはアニメや3Dといった映像技術にも詳しいからやってみたいことやアイディアはたくさんあるよ。あとは地元でたくさんスケートしてTBS(マルメの線路脇のDIYスポット)を増築したり、ポーランドチェコブダペストあたりをツアーするつもり。めいっぱい楽しませてもらうよ。


そして前号のMAGENTAに続いて今回はPOLARのデッキの特集も...

※上の画像は便宜上、POLARのカタログから抜いてきたもので、Dankには別の写真が使われています。ご了承ください。

Happy Sad Around The World - Detroit -USA
United We Stand - Alone We Fall
artwork by Pontus Alv

この写真のイメージは人がどこで、どのように死を迎えるだろうかという疑問を表現しているんだ。人は誰しも死ぬ。でもどういう形でそれが訪れるかは誰にもわからない。地球のどこかで地面に倒れ込んだ自分の写真はまさに終わりを意味している。この写真のシリーズはそうやって倒れた瞬間がどのような情景になるのかを探るものなんだ。こうしてデトロイトの郊外で星条旗が飾られた店先で終わりを迎えることだってあるかもしれないだろ?


Antidote
artwork by Stefan Narancic

このデッキは本当に古くからの親友のひとりがデザインしたものだ。昔から一緒にスケートしてきたし、POLARを始動させたときも大きな役割をはたしてくれた。彼は自分のスタイルとヴィジョンを持った本当に最高のアーティストだと思う。「ほら、あのデッキのさ...」なんて感じでスケートの歴史に関するたとえを言っても絶対にわかってくれるし。僕らはスケートボーディングの黄金時代を一緒に過ごした仲なんだ。
このデッキのコンセプトはきのこを採りにいった僕のガール・フレンドが迷子になってしまって、僕が彼女を追って森に入って彼女を治療できる魔法使いのドクターのところへ連れ戻す、というものなんだ。だからデッキのトップ面のグラフィックではドクターが薬を飲ませていて彼女の体の色も元に戻っているだろ? 本当に女の子はすぐにクレイジーなことをしでかすからね。


Torsten Alv X Pontus Alv
drawing by my dad, coloring by me

このデッキは僕にとっていろんなレベルで意義深いものなんだ。父親には本当に多大な影響を受けた。でも彼の人生は成功とは無縁だった。人生って不公平だよね。彼にはすばらしいことも、つらいことも、本当にたくさん教わったよ。僕の手元には父が描いたドローングやペインティングのコレクションが残っているんだ。彼はアーティストになることを夢見ていたけれど、自分を信じることができなかった。まさに自信と、夢や想いを実現するために必要な信じる力が足りなかったんだろうね。父も祖父も才能はあったのに二人とも世に出ることはなかった。だからこうして父の古いドローイングやペインティング、彼の想いを世に送り出せるのが嬉しいし、光栄なんだよ。
すべてが自分に託されている気もするんだ。祖父のBengt Alvと父がすべてのアイディアとヴィジョンを与えてくれて、子供のときに頭の中にいろんな種を植え付けてくれたのがいま成長して形を現しているんじゃないかな。自分が何者で、なぜいまこういうことをしているのか、すべては二人の影響なんだ。人はみんな過去の経験や歴史が生み出した環境に形作られるものだよね。だから二人からこれだけたくさんの種をもらえたのはありがたい。


Inverts in my dreams
- cut out artwork by Pontus Alv
タイトルの通りだよ。インバートやハンドプラント、バックサイド・エアー、フロントサイド・エアーとか大好きなんだ。本当にヤバくてスタイリッシュなバートのトリックがたくさんあって自分でもできたらいいのになぁ、といつも思ってる。できたら楽しいんだろうけど、自分には今のところできそうにないから絵にしたり、夢の中で体験するしかないんだ。
なぜこうやって裸の太った、というかグラマラスな女性がスケートする切り絵ばかり作るのか自分でもよくわからないけど、なんか優雅で美しい気分にさせられるんだよね。スケートボーディングを楽しいものに見せてくれる気もするし。切り絵はマティスから影響で、彼へのトリビュート。マティスは時代も次元も超えた存在で僕の作っているものなんて彼の足元にも及ばないから彼の名をあげるのも恐れ多いけどね。アートの偉大な師で、真の天才だ。



今回のインタビューはPontusが立ち上げたスケート・カンパニー、ブランドのPOLAR SKATE CO.の話題が中心となったこともあってお金にまつわる話の割合が多くなってちょっと生臭い感じになっておりますが... やっぱりショップ・ボードをばっさりと「無くなればいい」と切り捨ててしまっているのは個人的には賛成できませんでした。小学生とか中学生がちゃんとしたセットを組むのは金銭的に負担が大きいですよね(大人だって大変か)。ひとつの選択肢としてブランク・デッキやショップ・ボードがあってもいいんじゃないかと思います。実際にブランクに自分で絵を描いたり、シンプルにステッカーだけ貼って乗ってる人にもあこがれるんですよね。僕は物欲に負けて普通のデッキを買ってしまうんですが(笑) これまでスケート業界に対しては割と辛辣な意見をしてきたPontusですが、会社を運営すれば自分もその業界の側に立たなければいけないことは百も承知でしょう。そうやって清濁を合わせ飲む強さがないと何もできないものでしょうし。でも、これまでいつだってスケーターの側に立って発言してきたPontusの発言が今度は業界側に利用されないことを祈るばかりです。そこまで言うと被害妄想になりますかね? ま、意見の合わないことがひとつあったからって騒ぎ立てるのは貧弱すぎるよな、という自戒も込めて...