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夢見る文系スケートボーディング愛好家

PONTUS ALV interview by JOSH STEWART from THEORIES OF ATLANTIC WEB

スケート・ビデオ『Static』シリーズの制作者にしてフィルマーのJosh StewartがPontus Alvの新作フィルム『In Search of the Miraculous』を自分のウェブでも取り扱い、アメリカ国内での流通をサポートするにあたって敢行したインタビュー。同じようにインディペンデントでスケート・ビデオを撮影〜制作〜発表する彼ならではのPontusに対する熱い視線と彼の作品に対する素直な感動が読み取れ、そのヴォリュームもあわせて素晴らしく内容の濃いものになっております。当ブログへの和訳掲載も快諾して頂いたのでここにその全文を...

PONTUS ALV interview from THEORIES OF ATLANTIS taken with permission
original interview by JOSH STEWART
translated by KATSUSHIGE ICHIHASHI
http://www.theoriesofatlantis.com/site/news/pontus_alv_interview/

Photo courtesy of Sam Ashley
ゆっくりと何度もニューヨーク〜スウェーデン間でメールをやりとりした後で、遂にTheories Of Atlantisのウェブ・ショップにてポンタス・アルヴの新しいビデオ『In Search of the Miraculous』を取り扱わせてもらえる運びとなった。スケートボーディングのほぼすべての要素、撮影、編集、アート・ディレクションそして販売までをもポンタスは自分自身でこなしてしまった。さらに(すべてのDVDに)オリジナルのサイン、イラストや(写真プリントの)おまけも加えてDVDをより特別なものにしている。その作業にさすがに疲れたと漏らす彼に何とか作品を大西洋を越えてアメリカまで送ってもらう手はずを取りながら、さらに神に祈る気持ちでインタビューと何枚か写真を用意してもらえないかとお願いしたところ、なんとか快諾してくれた。
ポンタス・アルヴはアンダーグラウンドなスケート・ファンをすでに15年近くも惹きつけ続けている。1998年にMAD CIRLEの『5 Flavors』が出たとき、このスウェーデン人スケーターに関する予備知識はまったくなかったし、当時アメリカではヨーロッパのスケーターに対する見方は懐疑的なものだった。さらにボビー・プレオ、スコット・ジョンソンやロブ・ウェルシュといったラインナップに囲まれていればその中で突出することは非常に難しくなるはずだったにも関わらず、当時、自分の回りのスケーター達のほとんどがポンタスのパートにかなりやられていた様子だった。ものすごい速さで滑りきっていたポンタスのフッテージにはいつも楽しませてもらっていたし、もっと見てみたいと思わされるものだった。
約7年前、『Static II』の作業のためロンドンに滞在していたときになぜかポンタスを含むCLICHEのメンバーと夕食を一緒にすることがあった。食後にぶらついていたとき、ポンタスから彼がちょうど自分のビデオを作っている最中であることを聞かされた。そして、その作品はADIOのビデオみたいなやりすぎのアート・ワークや大げさな映像にはしたくない、「ああいうの嫌いなんだよね」と言われたのだった。彼は自分の作品の目標を大まかに説明するのに、うかつにも作った本人を目の前にしてADIOのビデオを悪い例としてあげてみせたのだ。私はあえてそれを悪意とは受け取らず、それどころか同意すらしてしまったのだが、もしや自分がそのビデオの制作者であることを分かっていなかったのではないかと思い、しばらくしてから彼に「さっきの発言を気にしてるわけじゃないんだけど、実は僕がそのADIOのビデオを作ったことは言っておいた方がいいかと思って...」と告白したところ、ポンタスは間髪を入れずに「知ってるよ... だから直接君にそう言ったんだ」と答えたのだった。こういった正直さは尊敬されるべき類いのものだろう。
そこからしばらくしてアメリカに戻った頃、少しずつその作品の噂を耳にし、遂にはリリースされたことを知った(『The Strongest of the Strange』)。しばらくそれを手に入れるべく探しまわったが、かなりの時を経て友達の家でまさにそのDVDを見ることができた。そしてその圧倒的なできばえに衝撃を受けたのだった。滑りも映像も最高だっただけではなく、作品そのものがまさに芸術だった。
今年に入ってヴィヴィエン・ファイルからポンタスがさらに新しい作品(『In Search of the Miraculous』)を作っていると聞かされたときには今度は作品がリリースされたらすぐにTheories of Atlantisのサイトでも取り扱えるようにしなければ、と思ったが、幸運にもスウェーデンでポンタスと滑ってきたばかりのヴィヴィエンからポンタスのメール・アドレスを教えてもらうことができ、彼に作品のアメリカ流通への協力を申し出ることができた。しかし基本的には作品を膨大に出回らせることはせず、少し入手が難しいくらいの状態にさせておくことが一番大事なんだという彼の返事には驚かされた。どこまでやばいんだ。
スウェーデンからニューヨークにDVDを送ってもらう手続きをした後、「ちょっとした」インタビューができないかとお願いしたのだが、作品を見てしまったら質問リストが3倍に膨れ上がった。ここからの長文がその結果生まれたインタビューである。お楽しみあれ。

JOSH:おぼえているかどうか分からないけれど、ずっと昔にロンドンで会ったことがあったよね。君はCLICHEとツアー中で、ある晩みんなで夕食を食べたんだけど、そのときに『The Strongest of the Strange』となる作品に取りかかっていると言っていたよね。始めて自分のビデオを作るのはどんな感じだった? きつい学習曲線はあった?(ものごとを習得していく過程で難しい関門があった?)

PONTUS:ああ、おぼえているよ、たしか2003年のツアーだったかな。CLICHEでの最後のツアーだった。そのツアーの最中にCLICHEから抜けたんだ。とにかくもうたくさんだった。そして自分のホームであるマルメに帰った。作品として形にする気なんて全然なかったけど、友達を撮ったり、身の回りやこの街、自分の人生において起こったことを撮り出したら自然とそういう流れになった。作品で表現したかったことは自分にとってスケートボーディングが何を意味し、何であるかを定義してみせることだった。自分のキャリアの中で一度は人に自分が何者であって、自分が何を信じて、何を支持するのかを表明したかった。『Strongest』以前に発表されていたパートは全然僕を表現していなかったから。あれは(スケート)会社の目やイメージを通した僕だったんだ。ずっと自分がどれだけ必死にスケートしてもできあがった結果にはいつも何かが足りない、抜かされている気がしていた。だから自分にとってスケートボードが何であるか、何であってはならないかと僕が信ずるところ、その観念を見せるために自分で最初の作品を作ろうと決心したんだ。映画を作るのはすごく簡単な場合もあるし、ありえないくらいに難しいものになることもある。どんな映画にしたいのかによるね。ものごとを習得していくのは楽しくも難しいものだった。5年分の素材があって、僕はそれまで一度も編集なんてしたことがなかったけれど、自分にはアイディアとヴィジョンがあったから技術的な側面はそれほど問題にならなかったよ。映像と音楽をタイムラインに乗せていくだけさ... 編集にはごく基本的なテクニックしか使ってない。映画作りはカメラで撮影したものやイメージの方に重点を置く。良い素材さえあれば編集は簡単だよ。僕のメイン・テクニックは色の補正だね。あれは大好きだね。よくある大げさなスローモーションの作り方も知らないくらい。

JOSH:ひとりで自分のビデオを作ってしまうのはなぜ? 

PONTUS:自分のやりたいようにできる自由を得るため。自分の見せたいものを見せ、使いたい素材を使うため。映画の中で裸になりたければなるし、遺体を見せたければそうする... そういう自由を愛してるし、自分の考えを妥協なしに表現するのも大好きだ。そして上でも言ってるように、自分が何を信じて、何を支持するのかを見せることができるから。

Photo courtesy of Nils Svensson
JOSH:最近のビデオ事情についてはどう? 楽しめるビデオ、インスパイアされるような作品はある? 

PONTUS:発売されているビデオのほとんどがスケート・カンパニー(会社)が出しているビデオだ。そういうビデオは会社に所属するチームの一番良いところばかりを見せるもの。会社のイメージやもくろみにあったトリック、でかいハンマー・トリックとかやばいバンガーだらけ。ときには本当に訴えかけてくるセクションもあるよ、例えばこの前のFLIPのビデオのランス・マウンテンのパートは最高だった。でもそれ以外はどれもなんだか平坦なものなってしまっていた。今日では良いスケーターがいくらでもいて最新のトリックをやってのけるし、毎週のように新しい天才児が現れてはバッチリと最新のバンガーをきめてるよね。たしかに素晴らしいけど、フィーリングはどこに行ったんだろう? だから概して最新のトリック・レポートみたいな、会社の作るビデオにはそれほど興味はない。僕にとってスケートボーディングはトリックそのものよりもずっと深くて複雑なものなんだ。いちスケーターとして僕らは友情、建築、スポットの探求、そこでの他人とのやりとり、人生の浮き沈みといったたくさんのいろんな要素と向き合うじゃないか。だから人生のすべてを(作品の中で)見せたい。そのために僕は自分の個人的な歴史や自分が興味をもつ要素を盛り込む。僕たちがスケートボードの上で自分自身を表現するときには人生のあらゆる物事が関係してくるんだ。落ち込んでいたり、失恋していたり、失望していたりすればそれが滑りにも自己表現にも影響する。なのになぜ人生における様々なスケートボーディングに関係する、大事な要素をはぶいて滑りだけを見せてしまうんだ? 今でもスケート・ビデオをチェックはするけど、わくわくさせられることは少ないね。たいていは落ち込んで、頭痛がしてきてもう二度とスケートボードに乗りたくない気分にさせられる。本当にたまにしか良いものには出会えない、例えばGonz(マーク・ゴンザレス)の映像とか。彼を見るといつも笑みが浮かんでくるよ。

JOSH:刺激されて、スケートしに飛び出したくなっちゃうようなビデオで一番新しいものって何? 

PONTUS:『Mind Field』のいくつかのパートはそういう気にさせてくれた。すごくいい仕事をしてるし、すごくいいシーンもある。でもやっぱりチームとブランドとそのイメージを宣伝するための会社のビデオなんだよね。会社のビデオであるというくくりはできること、できないことの可能性を制限してしまう。チームとか特定のライダーに限定されてしまうことで作品の中の「(運命の)赤い糸」が消えてしまうことがあるんだ。オマー・サラザー、ロブ・デューデック、ヒース・カーチャートとスティーヴ・ベラが滑ってる中にそういった「赤い糸」(つながり)を見いだすのは難しいよね。みんな違った個性を持ったスケーターで、互いとまったく違った滑りをする。つながりは同じ会社に所属しているということだけで、滑りや彼らが滑るスポットにはつながりがないだろ。たしかによくできた作品だとは思うけれど、個人的にはスケーター、滑り、スポットが強くつながったラインナップとそれを貫くコンセプトがある作品が好きなんだ。その一例としてダン・ウルフの『イースタンエクスポージャー』シリーズがあげられると思う。これらはある場所、時代とシーンをドキュメントしたものだよね。コンセプトは非常に簡単にして強固なもの。東海岸のスケーターに東海岸のスポット、そしてもちろん東海岸スタイルのスケート。シンプルにして完璧。他にもSTEREOの最初の作品(『A Visual Sound』)はスーパー8で撮影した坂だらけの町並みでのクルーズをジャズにのせたクラシックなサンフランシスコのある特定の時期とスタイルを収めているよね。彼らには作品に対するアイディアとコンセプトがちゃんとあって、首尾一貫それを貫いた。そういうのは好きだね。

Photo courtesy of Nils Svensson
JOSH:スウェーデンのマルメで生まれ育ったんだよね? 昔のシーンってどんな感じだった? 子供の頃、回りには他にもたくさんスケーターがいたの? 

PONTUS:ここは90年代には死んだ工業都市だった。滑れるところなんてほとんどなくて、自分達でどうにかするしかなかった。冬は長いし、スポットなんて大したものはなくてボロボロ。でもそういった少ないチャンスが後に僕らに大きなものをもたらしてくれたと思う。環境を違った風にとらえたり、使ったりするようしむけてくれたから。東海岸のスケートとマルメのスケートは似ていてどちらも同じような問題に直面する。建築様式がスケーターやその回りを育て、形作っていく様は興味深いよね。で、90年代ではシーンは本当に小さくて何もなかったけど、古い友達からなるこの小さなグループはその過酷な時期を何とか乗り越えていったんだ。そして僕たちは成長し、より結束を固めてスケート・コミュニティーを作り始め、ようやく少しずつ僕たちにも運が向き始めた。まずは教室の中にミニ・ランプを作って、次はもっと大きい室内パークを作って、ついには野外のコンクリート・パークまで作ってしまった。今ではマルメはヨーロッパの中心的なスケート・シティーのひとつになったけど、それはみんなで何もないところから一生懸命に何かを作り続けてきたお陰だ。いまだに同じメンバーの小さなグループであれこれやってるよ。みんなそれぞれの分野でシーンのために尽力している。

JOSH:昔、アメリカに渡って「カリフォルニア・ドリーム」(つまり、アメリカでプロ・スケーターになる)を果たしたこともあるわけだけど、カリフォルニアでのスケートと故郷でのスケートって比較するとどうなの? 

PONTUS:現実が夢に勝ることはなかったよ。故郷と、一緒に育った人達とのスケートに勝てるものなんてないよ。かけがえのないものだ。でもカリフォルニアに行ってみて、実際にどういうものかを見れたのは良かったよ。楽しくもあり、ひどく寂しい経験でもあったけど、結局は向いてなかったんだろうね。自分の好きなものがルールとか課題とかプレッシャーでがんじがらめにされるとそれを好きだった理由は奪い取られるんだ。 

JOSH:かなり長い間、ヨーロッパのスケーターにとっては世界で評価される方法はアメリカの会社でプロになる以外なかった気がする。僕らがヨーロッパのスケーターを見られる機会ってイケてない音楽に乗せられたPAL規格の映像を変換した荒い映像の411「World Report」セクションだけだったし。BLUEPRINTやCLICHEといった会社のお陰でようやくヨーロッパのシーンにも正当な評価や注目が集まってきたと思う?

PONTUS:長い間、スケート業界は100%、カリフォルニアを意味していたよね。でも今となってはスケートボーディングはグローバルなものになったよ。10年前だとヨーロッパなんて大して注目もされなかったけど、今じゃまさにここに来なきゃ始まらない、ていうくらいの勢いだよね。Eurotrashから天国へと大変身。CLICHEの1作目、BLUEPRINTの作品にEsの『Menikmati』のお陰でヨーロッパも注目されるようになった。ちょうどカリフォルニアでやたらとスケート・ストッパーを付けられ出した時期とも重なるんだけど、何かとヨーロッパの方がやりやすいと思えたんだろうね。

JOSH:作品を見てると、文句があるなら自分の手でなんとかすればいい、という姿勢を強く感じとって、ひょっとするとそれこそがこの新しい作品の主題なんじゃないかとも思ったんだけど、どうかな? 

PONTUS:人生で何かを得たいなら自分でことを起こすしかないよ。一生懸命やれば夢見たものを手にすることはできる。僕らには何もなかったけど、今じゃありすぎるくらいになったよ。そうだね、メイン・テーマはdo it yourself(自分の手でやれ)、make things happen(ものごとを実現させろ)だ。人生には浮き沈みがつきものだけど、どうしたって僕らは生き続けて、夢を見続けるしかないんだよ。あきらめるなんてできない。作ったスポットを壊されたからって何だ。新しいのを作ればいいじゃないか。それが楽しいんだから。今じゃ撤去されるのが好きなくらいだよ。だってそのお陰でまた新しいものを作らなきゃいけなくなるんだから。新しく滑る場所ができるんだぜ。だから君の言う通りだよ。

JOSH:今日『In Search of The Miraculous』を受け取ってすぐに見たんだけど、見終わった瞬間に質問と同じくらいたくさんの賛辞が溢れ出てきたよ。スケーターの人選がすごく多様というか、みんなスウェーデン人なの?それとも他の国のスケーターもいるのかな? 

PONTUS:Eniz Fazliovはフィンランド人でMichal Jurasはポーランド人、それ以外にもヨーロッパ各地のいろんなスケーターが登場するよ。JavierとTxusはバスクから、Scott Bourneはアメリカ生まれで今はパリにいるし。

JOSH:僕自身は最悪の批評家で今じゃスケーターの95%は退屈にしか思えないくらいなんだけど、この作品に出てきたスケーターはみんなドープなスタイルを持っていたよね。フル・パートを持ってるスケーターについて紹介してもらえないかな? 

PONTUS:Eniz Fazliov、Guenes Oezdogan、Micha Juras、Daniel Hakansson、Love Eneroth、Danijel Stankovic、Johan-Linoe Waadに僕だね。それ以外にはJavierとかScottみたいに短めのパートを持ってる人もいる。

JOSH:みんなかなりのキャリアを持ってるように思えるんだけど、フル・パートを持ってるライダーを選ぶときの基準は何?

PONTUS:みんないい奴だし、友達だ。スケーターを選ぶようなことはしないよ。いつも自然に決まっていく。誰かがマルメに僕を訪ねてくれば滑りに行って、いろんな出来事を通してより深く知り合うことになって、つきあいが長くなれば他にもいろんな素材が持ち寄せられたりしていわゆる「パート」に発展していくんだ。でもそのパートのために必死で撮影に行ったりはしないよ。スケートミッション(目的を持って滑りにいく)に出かけることはあっても僕らのはすごくゆるい感じ。いい時間をすごして、楽しむのが目的なんだ。滑りに行ったのに結局は一日アイスを食べてコーヒーを飲んだだけ、ていう日もあるよ。いいスケート・セッションは生まれるべきときに自然に生まれてくるものなんだ。みんなの心がひとつになったとき、タイミング、スポットといろんな要素が揃ったときにね。みんなについていって一緒に滑るだけだよ... 

JOSH:撮影はほとんどスウェーデンなの? それ以外だとどんな国があるのかな? どのスポットも最高だった。今まで見たこともないものばかりだったし。

PONTUS:マルメの風土というか美学みたいなものを表現したいから撮影するときはできるだけマルメ市内か周辺で撮影する。75%がここで撮られたもので、Enizのパートはフィンランドで、Jurasのパートはほとんどワルシャワで撮られたりしてるよ。スポットに関してはスポットそのものを取り上げる場合をのぞいて、作品中には同じスポットは1度か2度しか登場させないように制限している。いつも新しいスポットを確保しておくのが大事だと思う。出てくるスケーターがみんなそれぞれのパートで同じスポットを滑ってるようなビデオは好きじゃない。それぞれが違うトリックを見せていたとしてもね。そういう作風は熱気を奪うし、作品は前に進むことなく(そのスポットに縛られて)停滞したままになってしまう。僕にとってはそのスポットの構造、建築様式がすごく重要で、そのガチガチでいかつい感触をそのまま映像で見せたい。だってそれがまさに僕たちがここで滑っているものだから。他の場所で撮影した素材で良いトリックもあったけど、自分のそういったコンセプトに合わなかったから作品には入れなかったものもあったよ。ちゃんと「赤い糸」があって、自分のコンセプトを貫き通すのが大切。建築物(スポット)は作品をひとつにするためのとても大切な要素だよ。他にはもちろんスケートのスタイルもそうだし、音楽もそうだね... (訳者注>しかし、意外にもPontusやDanijel、Loveのフッテージにはドバイで撮影されたものもあったりします!)

Sequence courtesy of Jean Feil
JOSH:作品を見ながら思わず頭の中で君が影響を受けた人やものについてあれこれ思いをめぐらせてしまったんだけど、エイリアン・ワークショップの『Memory Screen』の影響はかなり濃く、ほんのりとH-STREETのマイク・ターナスキー的なニュアンス、そして確実にステーシー・ペラルタの『Ban This』の影響を感じたよ。僕の読みは当たってるかな?

PONTUS:ああ、もちろん今言ったビデオは全部自分が育ってきたもので自分の歴史とも言える作品ばかりだから自分の中に流れているものだと思う。いまだにその時代に作られたものが一番良いんじゃないかとさえ思うよ。それらを見てはいつもスケートしたくなったし、今でも相当気合いを入れられるよ。今でも十二分に通用するエネルギーを持った作品達だ。時代を超えた傑作ばかりだよね。

JOSH:ハハハ、ちょっと行き過ぎかなとも思ったけど、そうだったらやばいなぁと思って。僕も初期のH-STREETやPOWELLのビデオで育ったようなものだから、この作品を見ていてたまにフラッシュバックみたいなものを感じて。

PONTUS:そんなことを言ってもらえたら光栄だよ。ありがとう。僕も同じビデオで育ったから君の言いたいことは分かるよ。僕の作品が同じようなフィーリングを与えられたら最高なことだと思う。みんなには僕の作品を見てもらったらガツンとやられて、燃えて欲しい。ソファーから飛び上がって、ところ構わずに突撃したくなるような、デッキを掴んでドアを飛び出して最初に目にしたものに思わず突っ込んでしまうような衝動を感じてもらいたいよ。あとは自分たちで何かを作ったり... 

JOSH:撮影はほとんど自分で手がけたの? 自分が映っている分以外ではどれくらいの割合で撮影を担当したのかな? 

PONTUS:75%は僕が自分で撮影したよ。友達のKubaがMichal Jurasのパートのほとんどを撮ってくれて、EnizはフィンランドでほとんどをAnssiとTermuが撮ってくれた。でも編集や音楽といったポスト・プロダクションは100%僕の手によるものだよ。あとは友達のJohanが映画用に特別に3曲作ってくれたよ。そして友達のMartinがDVDにするときや技術面でいろいろと助けてくれた。

Photo courtesy of Nils Svensson
JOSH:いやぁ、ほとんどを自分で撮影してたとはびっくり。どうやってこんなに早くそんな技術を身につけたんだい? それとも撮影に関しても僕が知らないだけで結構なキャリアがあったりするのかな?

PONTUS:まぁこれで2作目になるし、もうなんだかんだ言っても10年ほど撮影はしてきてるからね。1作目はそんなにシリアスに撮影はしていなくて、とにかくやってみる、という感じだったんだけど、その編集を経てみると良い撮影、つまり良い構図と面白い素材こそが肝だと分かったんだよね。それを土台にして後から編集で良いものを生み出していくわけだから。でもきれいに撮った完璧な映像が必ずしもベストではないことも言っておきたい。きれいなだけだと堅苦しい。ときには手ぶれした変な画像の方がきれいなものよりも使えることもある。その両方をバランスよく混在させるのが好きなんだ。スーパー8の変な映像からちゃんと撮ったスーパー8の映像、VHSにミニDVからHDの映像などなど... 

JOSH:いろんな効果的な映像やアート的なイメージをあちこちに挟み込みこんでいたけど、クレジットにあったアーティスト「Mr. Klez」てのは誰なの? 彼はこの作品でどんな役割を果たしたの? 

PONTUS:Mr. Klezか。うん、彼はすべてのアート面を取り仕切るアート・ディレクターだ。Mr. Klezは僕の分身なんだよ。僕の中のどこかに住み続けているんだ。

JOSH:熱気球や風船も登場していたけど、何か特別な意味を表しているの? 

PONTUS:子供時代によくヘリウム風船に絵やメッセージをくくり付けて飛ばした思い出からきている。すごく好きなイメージだよ。どこか知らないところに向けて何かを発信するという行為。風船がどこまで飛んでいくか分からないし、いつの日か誰に見つけてもらえるのか、そもそも見つけてもらえる保証もない。そのまま空中を漂ってるか、ひょっとすると宇宙まで飛んでいってるかも。すごくロマンチックで夢のようなできごとじゃない?

JOSH:作品は君にとってすごく個人的なものに思えるんだけど... そうやって作る作品は一緒のセラピーになってるとも思う?

PONTUS:ある意味、なっていると思う。僕は映像を通して子供時代に戻り、その頃の感情や思い出を取り戻そうとするんだ。一瞬、その時間が戻ってきてくれる感じがする。いや、ひょっとしたらそう思いたいだけなのかも知れないけれど。そういったイメージにどっぷりはまると自分が昔に戻ったり、みんなが現在にやってきてくれたりするような気がするくらい。それって編集の素晴らしいところだよ。僕だけの瞑想方法みたいなものだね。 

JOSH:いろんな場面でリスクをおっているけれど、そのお陰で作品が今日のスケート界にあっては非常にユニークで個性的な体験を作り上げていると思う。でもたとえば作品に登場するスケーターで、君がスクリーン上に裸で立ってる姿を試写会で見てびっくりした人とかいる?

PONTUS:裸の人間を見たくらいで大騒ぎするやつなんているかい? 裸はUFO並みの事件なのか? いや、知るかぎり僕の裸にびっくりした奴なんていないよ。 

JOSH:そうか... 最近のスケート・ビデオはどれも型にはまったものばかりで、こうして『In Search of the Miraculous』のような個性的な作品が世に出てくれて救われた気分になるんだけど、この作品はどうなってほしいと思う? 作品をあまり簡単に手に入るような状態にはしたくない、なんて言っていたけれど、やっぱりアンダーグラウンドな存在のままにしておきたいのかな?

PONTUS:大きな流通網にのせてガンガン売りまくってお金儲けをしたいわけじゃないんだ。自分のウェブを作ったからそれを通して作品に興味を持ってくれる人と直接やりとりをするのをすごく気に入ってる。すべてのDVDにサインをいれるし、毎回封筒をなめてるよ(つまり自分で封筒ののり付けをする、という意味)。いい気分だよ。狭い世界で人間同士がやりとりするこの形を気に入ってる。作品を世に送り出すためにはいくらでも努力するけど、その過程に関わるのは僕自身か僕がその一端を任せたいと思った人だけだよ。たとえば君のウェブとか。自分の作品を加えてもらえて嬉しい場、良い人間がちゃんと面倒をみてくれるようなところなら大歓迎。

JOSH:この作品はスウェーデンスケートボードに大きな影響を与えると思う。作品に登場するスケーターはみんな信じられないほどに素晴らしいし、登場するスポットもやばいものばかりで。この作品を通じてみんなが世界から注目されるようになることを誇りに思う?

PONTUS:僕が誇りに思うのは、自分の作品が他人に何かやる気を起こさせたり、刺激を与えるときなんだ。僕の作品を見て、自分でも何かを作ろうという気になってくれて作ったDIYスポットの写真を送ってもらったときとか。そういうことは誇りに思えるし、自分がスケートボーディングに何か恩返しをできた気持ちにさせられる。恩返しは僕の究極の目標だ。恩返しをして、世界中のスケーターに彼らが自分たちのスケート・シーンをより良いものにしていってくれる動機になれたら最高だ。レンガと何袋かのセメントがあればきっとできるよ。DIYスポットはただのスポットでは終わらない。人を結びつけて、シーンを強くしてくれる。ソーシャル・スカルプチャーさ。(訳者注>social sculpture...環境や人間の活動も含めたパフォーマンス・アート的な活動?作品?運動をさすようですが、私この方面はとんと疎くてバシッと良い訳ができません。もしも詳しい方のご教授を頂けましたら幸いです。馬鹿みたいな直訳の「社会的彫刻」というのが意外にもスケート・スポットの姿形、社会の中でのあり方に沿っていてイメージとしては好きなのですが。)

JOSH:この作品のためにこれだけ力を尽くしてくれて、こんなにやばいスケートを届けてくれてありがとう。もう何か新しい次の計画はある? それとも少し休んでただスケートを楽しみたい感じ? 

PONTUS:先の計画は... ここマルメでやってることを自分の好きな連中とひたすらやり続けることだね。実は自分のスケート・カンパニーを作ってあれこれやってみたいんだけど。デッキを作ったり、シャツや本、雑誌に音楽を出したりとか。自分のアイディアを実現させられるような場を作りたい。映像の分野でもまた作業を続けていきたいけれど、次の作品がまた5年がかりになるのは避けたいかな。もう少し小さめのプロジェクトにしていきたいけど、何がどうなるかなんて分からないよね。誰も将来を見通すことはできない。ぼちぼちやっていくよ。夢を見続けて、一生懸命に働くだけさ。

Photo courtesy of Nils Svensson

いっさいのブレ無し。昨年、マルメを訪れた際も駅の観光案内所で街の地図やガイド的なパンフレットをもらったら表紙がインタビュー中にも話題にあがった野外コンクリート・パークStapelbaeddsparkenでした。まぁ、ヘルメットに全身にパットを装着したキッズが不自然な形でエアーをきめてるのか何なのか分からない写真との合成でしたが、こうやって街が観光アピールに本気でスケートボードを取り上げていたことに驚きました。Pontusの1作目『The Strongest of the Strange』では野良犬を蹴飛ばすように彼らのDIYスポットSAVANNA SIDEを潰した「体制側」を今やスポンサーとも言える立場へと転換させたマルメのスケート・シーンは夢のようです。日本からだとどうしてもPontusひとりに目がいきがちで、実際に向こうでも彼はよくも悪くも突出した存在(彼のファンと同じくらいか、それ以上に彼を嫌いだという人もいるそう/笑)ですが、その回りには写真家のNils Svenssonや各パークの運営をするメンバー、マルメのローカル・スケート・ブランドSEMESTERの運営をする人などなど、熱い人達が集まって一緒にシーンを支え続けています。いつも滑る場所がないなぁと嘆いているだけの自分にはただただまぶしい存在です。