luecke

夢見る文系スケートボーディング愛好家

PONTUS ALV interview from with his http://insearchofthemiraculous.se/ web

Pontusのサイトに上げられたミニ・インタビューの和訳です。 その後も続々と他のインタビューが追加されていますが、そちらも許可がもらえれば和訳〜掲載させて頂こうと思います。



本作の制作に協力してくれたのは誰ですか? 

P:フッテージを提供してくれた人だろうね。でも75から80%は僕が自分で撮影したものだし、編集と作品のコンセプトは100%僕の手によるものだよ。あとは友達のJohan(BRACEY HUNSUNというアーティスト名で活動するサウンド・プロデューサー。オープニングやバリヤー・スポットのパート、Guenes OzdoganやPontusのパートでも彼の曲が使われています。 http://www.myspace.com/braceyhaensun )がこの作品のために3曲作ってくれた。でもこういう作品だと出演してくれている誰もが協力してくれたことになるよ。だって何の見返りもなく僕と僕のカメラのために滑ってくれているんだから。ギャラも払わないし、物やグッズを渡せるわけでもないからね。みんな滑りたいから、それも心から滑ってくれている。それって僕にとってはすごく重要なことだよ。でっかい業界プロジェクトじゃないんだ。出てくる人は全員、僕が知っていて、個人的に会った人達で、僕の友達だったり、いい奴だって分かっていたりする人ばかりだよ。僕は自分の好きな人のフッテージしか使わない。それこそ自分にとって大事なルールのひとつだ。

個人的な映像もたくさん入っていますが、試写会で大勢の前で完成した作品を見せるときにはどんな気分なのでしょうか。

P:いつでも感情が揺さぶられるし、ときにはすごくつらいこともある。出てくるシーンについて僕の方がより深く分かっているわけだし、より意味深いものだからいろんな記憶や個人的な出来事がよみがえってくるんだよね。だから試写会に出席するのは好きじゃない。前作のときはいくつかあった試写会の内、マルメでの1回しか出なかったほど。今回はすでに5回ほど出席しているけれど、もうこれ以上は勘弁してほしいかな。やっぱり好きじゃない。僕は自分の作品が好きで、それがすべてなんだ。他人の意見や反応なんて聞きたくも見たくもない。他の人にも気に入ってもらえたら嬉しいけど、その場で分かったような言い方やどうでもいい意見を押し付けられるのはごめんだ。悪意のこもった批評はどうか自分自身に向けといてくれ、てめえの悪趣味を押し付けてくるな!と思ってしまうんだ。

自分のそういった個人的な要素を大勢の個人的にはつながりのないスケーター達に見せてしまうことはあなたを不安にさせたりしませんか? あるいはそれこそがあなたの狙いなのでしょうか? そういう自分を知ってもらいたいのですか? 

P:先にも言ったように、人生のすべてが大事なんだ。自分の過去、家族、歴史、愛、友情... 全部が関係しているから作品も個人的なものにしたい。つらい時期もあれば幸せな時期もある。そのすべてが大事なんだ。スケートボードの上に立ったらデッキは即座に自分の魂の状態を教えてくれるよ。イライラしてるのか、とかね。僕のスケートボードは嘘をつかない。いつだって即答。「ポンタス、心が折れちまってるよ」「頭が混乱してるよ」なんて調子で教えてくれるし、そのせいで余計に僕を罰したり、逆に助けてくれたりもする。僕のスケートボードは実に正直な人格を持ってるよ。

登場するスケーターはどのようにして選ばれたのですか? 各パートが混じり合っている感じからするとみんな親しい仲のようですが。全員あなたの友達なのですか? 

P:みんないい奴だし、友達だ。スケーターを選ぶようなことはしないよ。いつも自然に決まっていく。誰かがマルメに僕を訪ねてくれば滑りに行って、いろんな出来事を通してより深く知り合うことになって、つきあいが長くなれば他にもいろんな素材が持ち寄せられたりしていわゆる「パート」に発展していくんだ。でもそのパートのために必死で撮影に行ったりはしないよ。スケートミッション(目的を持って滑りにいく)に出かけることはあっても僕らのはすごくゆるい感じ。いい時間をすごして、楽しむのが目的なんだ。滑りに行ったのに結局は一日アイスを食べてコーヒーを飲んだだけ、ていう日もあるよ。いいスケート・セッションは生まれるべきときに自然に生まれてくるものなんだ。みんなの心がひとつになったとき、タイミング、スポットといろんな要素が揃ったときにね。みんなについていって一緒に滑るだけだよ... 

他のインタビューで「このプロジェクトは僕を破産させる」とも発言されていましたが、なぜそこまでして作品を作られるのでしょうか? 

P:車に25,000ユーロつぎ込む人もいるだろ? 僕はそういうお金を作品に使っている。誰もが自分なりに人生を生きていくものさ。僕は映画を作るのが好きな一方、ぴかぴかの新車が好きだという人もいる、ということじゃないかな。

『The Strongest of the Strange』から5年経ちましたが、あなたにとって前作と『In Search of the Miraculous』では作品へのアプローチや創作面で自分に課した課題などで違いはありましたか? 

P:前作はもう少し暗くて辛辣で、今回はもう少し明るくてもっとカラフルかな。虹や星、夕焼けといったクラシカルで定番のシンボルを使うというアイディアを気に入ってね。すごく美しいものだけどベタだよね。でも作風をダークにして面白いものを作る方がずっと簡単だと思う。美しいものを使って意味ある作品を作るという挑戦を気に入ったんだ。

John Dahlquistは『In Search of the Miraculous』において愛する家族を亡くしたことが作品の動機にもつながっていることに言及されていましたが、作品を完成させ、公開することはそういった個人的な悲しみを乗り越える手助けとなるのでしょうか? 

P:死は生の一部。年老いてから死ぬことは決して悲劇ではなく、ごく自然で普通のことだよ。若くして亡くなるのは本当に悲劇だけどね。誰も永遠には生きられない。それこそが人生の意味。人生は短く、君がここで過ごす時間は短い。それが人生を走らせるモーターにしてエンジンさ。我々は死ぬために生きなければならない。この作品で僕はMaertaとBengt Alv(Pontusの祖母と祖父)にさよならをした。二人が旅立つ前にたくさんの時間を一緒に過ごしたよ。二人の人生の最後の歩みを見守れてよかった。

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