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夢見る文系スケートボーディング愛好家

SCOTT BOURNE interview from BITCHSLAP magazine

ひょんなことで見つけてしまいました。CARHARTTから発行された2冊目の詩集『Eclipse』を記念したScott Bourneの詩の朗読ツアー中(2010年3月)にデンマークコペンハーゲンにて行なわれたインタビューの和訳を許可を得て掲載させて頂きます。 このブログでも何度か訳してきたインタビューやScottの発言とほぼ同じ論調ですが、興味深いのは現時点でのScott自身とスケートボーディングの関係に関する発言でしょうか。 

SCOTT BOURNE interview taken from BITCHSLAP magazine #9 with permission
Photos: Rene Johannsen
Translated by Katsushige Ichihashi
スコット・ボーンはほんの数人の聴衆を感嘆させるべくコペンハーゲンになだれこんできた(実際には車で連れてこられ、なかなか良いホテルにも泊めてもらっていたのだが)。聴衆は土曜の午後にありつけるフリー・ドリンクのビールと、プロのスケートボーダーによる詩の朗読会に同じくらい惹かれてきたように思われる。スコットの深淵で狂気に満ちた心と頭の中を考察した本『Cheating on the metronome』は詩や日記といった形態をとりながらもこれまでの(スケートボードと異種の文化、芸術との)コラボーレーションとは一線を画するものとなった。本は彼がタイプしたA5の原稿をそのままスキャンしたこれ以上アナログにはなりえないような仕上がりだ。朗読会に出席した全員が彼の心象を受け止めることができたかどうかは計り知れないが、作家に憧れる自分としてはしびれるばかりだった。朗読会の後、テープ・レコーダーを回しながら二人でビールを飲んだ。以下はその時の記録である。

BITCHSLAP誌(以下 BS):いくつか質問があるのですが、あえてコンピューターは持ってこなかったんです。

SCOTT BOURNE(以下 SCOTT):いいね。

BS:メモにある一言目は「are you a lover or a fighter」(自分を押し通すために戦うタイプですか? あるいは何事も温和に解決する「和」に重きをおくタイプですか?)

SCOTT:(深く息をついて)う〜ん、今、自分の人生でくぐり抜けている様々な事柄の中で変えたいと思うことがひとつあって、振り返ると自分の人生は戦いの連続だった。人生で成し遂げてきたことはすべて戦いを通してだった。スケートボーディングは良い一例だね。才能があったわけじゃない。自分が最高のスケーターだったことなんて一度も無いし、ただただ戦い抜いて、なんとか前に進んできた。自分の哲学はいつも「OK、もう1回」て感じだった。

BS:ユーチューブで何度もレールに挑むクリップを見ましたよ。

SCOTT:まさにあれが真実をついていて、もしも今やめてしまった場合、その次のチャレンジこそが成功する回だったとしたらどうなる?てことなんだ。だから俺は人生のほとんどを「ファイター」としてすごしてきたと思うんだけど、これからは人生に違った流れも欲しいんだよね。回りを自分に合わせて変えようとするのではなく、ものごとを自然に起こるがまま受け入れたり、環境の中の自然ないち存在としてすごしたりしてみたい。それって少し「愛(和)」を必要とするよね。だからもっと世界を愛そうとしている。

BS:作品中で描かれている人物像とは少し違った自分に対する見方ですね。

SCOTT:何かを愛そうと思ったら「ファイター」にならざるを得ないんじゃないかな。いつだってスケートを愛していたし、人からもスケーターとして見られてきたし、物議を醸し出す人物、「Fuck You」と何にだって挑むようなやつと見られてきた。たしかにそれこそが俺だ。何かを愛すればそれに挑むよ。それが女性の場合もあればスケートのトリックの場合もある、てこと。

BS:そして本もその一例なんですね? 

SCOTT:いや、本が出たのは... 自分自身のためにただひたすら書き溜めてきたんだけど、カーハートのラーズが俺が彼らのモンゴル紀行本『Dirt Ollies』に書いた日記を気に入ってくれて、執筆活動に興味を持ってくれて何か一緒にできないかと打診されたから「短めのやつなら色々あるよ」とラフな原稿をいくつか見せて。まさかカーハートがそれを出版してくれるなんて夢にも思わなかったよ。

BS:でも今この界隈(スケート業界)では誰もやっていないことで、一段上をいくアートだと思います。いわゆる詩ともまた違った感触もありますし。

SCOTT:それは俺が自分を「詩人」とは見ていないからだね。頭の中にいろんなことが生まれてきて、もうどうしようもなくてただそれを書き留めるしかない人間、と見られたい。他人がそれを詩とよぼうが何とよぼうがどうでもいいよ。

BS:なるほど。今はパリに住んでいらっしゃるそうですが、ヨーロッパでアメリカよりも魅力に感じるものは何でしょうか? 

SCOTT:アメリカを離れたときはもうそこにいるべき理由がなかっただけなんだ。スケートでお金も十分に稼げていたし、基本的には好きなように生きることができた。その3年前にヨーロッパを旅したときにヨーロッパを気に入ったんだけど、アメリカに戻っていった唯一の理由はそこにつきあっていた彼女がいたから。でもその彼女と別れてしまったからアメリカにいる必要がなくなって、ヨーロッパに行ってみることを選んだ。 

BS:あなたがアメリカ人なので、人はアメリカから離れた理由に政治的なコメントも期待すると思うのですが。アメリカという国に対する反抗だった一面もありますか? もちろんそんなことがなくても全然構わないのですが。

SCOTT:別に俺のアメリカに対する声明だったわけじゃないし、反抗でもなかったけど、自分の国に対して希望を無くしていたことは確かだった。ジョージ・ブッシュは狂っていた。そして彼の再選には打ちのめされた。俺は泣いたよ。アメリカ国民が彼を再び選んだこと、あるいは彼をその職につけた権力、そして誰もそれを拒絶しなかったこと... 自分にとっては大きなできごとだったし、どうしても政治的な話になってしまう... 多くの人は俺をアンチ・アメリカだと思っているようだけど、俺はアンチ・アメリカじゃなくて、どんな国に対しても愛国心てものにアンチなんだ。今、15年ぶりにアメリカに対して希望を持ち始めたし、20年ぶりにテレビを見るようにもなったけれど、ただ分かってもらわなきゃいけないのが、アメリカ人の7%しか有効にパスポートを使っていないんだ。つまり国民の7%しか国外に出たことがない。そして国外に出たらきっとアメリカ人をやめたくなるよ。

BS:座ってタイプライターを通して心情を吐き出す作業と、見知らぬ人の前で「日記」を大声で読み上げることの違いについてお聞きしたいのですが。

SCOTT:まったく違ったものだね。今日がツアーで2回目の朗読で、2日前のロンドンでも今夜と同じ作品をいくつか読んだけど、今夜はなぜか声がつまって、気付いたかどうか分からないけど、自分を見失って泣きそうになってしまった時があった。読んだものはまさに自分自身で、自分の感情。でも書き手としては前回は平気だったのに今回は崩れそうになってしまったのが面白い。読んでいるとそこで起こった出来事が見えてしまうんだ。 

BS:深いですね。やはりそこまであなたにとっては個人的なものなのですね。でもそれこそが込められたメッセージなのでは? 

SCOTT:そうだね。作品にメッセージがあるとすれば、その一部はきっと「てめぇの詩を書け、自分だけの曲を書け、そして踊れ」かな。やっちまえばいいんだ。自分のやりたいように、という感じだね。 

BS:では話を進めまして、アナログに関して... 

SCOTT:俺に関する下調べはばっちり、ということかな? 

BS:メモには「あなたはアナログなものを偏愛されていますが、それは現代のテクノロジーに対する嫌悪が先立っていたりしますか?」とあります。 

SCOTT:デジタルのせいで世界が自分たちの歴史を消そうとしてしまっているのが問題なんだ。誰のコンピューターだってクラッシュする。そしてクラッシュしたコンピューターの中にこの3年間の交遊関係や自分の子供の人生を保存していた場合、それらが消滅してしまう。俺にとってはそれが問題なんだ。デジタルは商業には向いているんだろうけど。

BS:あなたが『Eclipse』の中でも(原稿そのものを)見せていたのにも納得がいきました。本と紙の因果関係は本そのものだけですと見えにくいものですからね。 

SCOTT:そうだね、その基礎を見せている。

BS:執筆作業はどのように進むのでしょうか。指が思考に追いつこうともがきますか? あるいは言葉をじっと待っているのでしょうか。私の印象ではあなたの書くものは生々しい思考そのものであって、あなたはその思考をそのまま書き留めるだけなのではないかと思います。

SCOTT:ただただ出てくるだけなんだ。頭の中に20行浮かんでいて、慌てて書き留めようとしているわけじゃないよ。この18年間、俺が雑誌やいろんな刊行物に寄稿したもの、スラップ・マガジン(アメリカのスケートボード雑誌)にも3年間連載していたし、それらはすべてまずは紙に書かれたものなんだ。今でもまずは手書きして、それからタイプライターで清書する。どこかへ送るためにコンピューターに入れなきゃいけない場合はコンピューターにも入力する。そこには独特の過程が生まれるんだ。小説だと412ページにもなるものを俺は紙にタイプして、さらにそれを3回、端から端まで書き直す。そうやって何度も推敲を重ねるうちに本当の完成へと向かう。コンピューターで書いて、スペル・チェックのボタンと押して「はい、終わり」というのとはわけが違うよ。自分で書く中で編集も重ねているわけさ。

BS:そのままタイプライターだけで作っているのかと思いました。

SCOTT:『Cheating on the metronome』は全部いきなりタイプライターで書いたよ。

BS:では一発勝負だったわけですね。でも書き損ねた場合でも生々しくて本物であった場合は「よし」としますか? 

SCOTT:芸術としては「よし」となるね。その通りに出てきてしまったわけだから。いつも不完全の中にこそ完全があると言ってるんだ。書き直しをした場合、他人の目を気にして間違いを取り除いてしまうことがあるだろ。

BS:あなたにとっては作品をありのままの姿に保つことはどれくらい重要なことなのでしょうか。 

SCOTT:『Cheating on the metronome』で目にする作品は失恋をしたあとに(出版を意識せずに)自分のためだけに書いていたものだから、まさか誰かに興味を持たれる、それどころか出版されてヨーロッパ中に出回っているなんて狂ってるよ。ものすごく個人的なことしか書いていないし、今こうして自分の人生に他人をこれだけ近づけさせることに向き合わなきゃいけないんだから。でもみんなには受け入れてもらえてるみたいだね。

BS:あなたの作品に人が引きつけられる理由は何だと思われますか? 

SCOTT:今夜、若い女の子が声をかけてくれたんだけど... 

BS:本当ですか!? 

SCOTT:(笑) 声をかけてくれたことよりも「あなたの朗読や話は私達の時代(現代)に合った、つながりを感じる存在だから好きです」と言ってくれたことが大事なんだ。19世紀に書かれた時代遅れの詩じゃなくてね。その時代のどんなに美しい詩でもそれを愛でたり、研究することはできても時代や世界が違っているから真のつながりを感じることは難しいだろ。これまでで最高の褒め言葉だったかも。

BS:あとメモには「heart on your sleeve(英語の慣用句で「袖に心をまとう」つまり常に本心を見せている状態で生きるという意味。Scottは実際に腕を黒く塗りつぶした個性的なタトゥーとハート型の余白部分を持つので非常に奇遇なことに)」とあります。これはあなたに会って実際にあなたの腕のタトゥーを見る前に書いたものなのですが... あなたは作品で自分をさらけ出すように、人生においても非常にオープンなのでしょうか。

SCOTT:すべての人の作品や人生が「heart on your sleeve(すべてをさらけ出して)」であれば、と願っているよ。まぁ、俺にはタフガイみたいな挑戦的な評判がつきまとっているようだけど、くそくらえさ。たしかに俺は喧嘩っ早いよ。人生もある意味ずっと戦ってきたし。そして今は戦いを辞めるために戦っているんだ。 

BS:では今、あなたにもっとも影響を与えているものは何でしょうか。 

SCOTT:今日に至るまで、俺に一番影響を与えたのはいまだに両親だろうな。影響は自分では選べない。自分が好む、好まざるに関わらず自分を形作ってきた人物が「影響」てものだ。「この偉大な作家に影響されました」とか「一番好きなスケーターに影響を受けました」と言いたいところだけど、実際には彼らには影響なんて受けていないんだ。

BS:ではスケートボーディングはそれほどあなたに影響を及ぼしていないのですか? 

SCOTT:今、人生におけるこの瞬間ではスケートボーディングは俺に何の影響も与えていないと思う。逆に離れたいくらいだ... スケートボーディングは最高だけど、問題はスケートボーディングが子供のためにあるもの、という点なんだ。 

BS:今でも楽しめるものではないのですか? 

SCOTT:スケートボーディングは人生をここまで進めてくるために素晴らしい役目を果たしてくれたけど、スケーターとして生きていくにはそれで食って行かなきゃいけない。それは雑誌を発行することを意味するかもしれないし、プロのスケーターでいることを意味するかもしれない。プロのスケーターでいることってのは16とか18歳の自分がヴァンから降りた時に他の連中も16や18だったのがある日、自分が30歳でまわりが16や18歳のままでいる不条理なピーター・パン的世界の中で行き詰まってしまうことを意味する。そしてその世界は自分の成長をもはばむんだ。だから今の俺はスケートボードからの影響に対しては断固アンチだよ。ある地点まで行かせてくれるのは歓迎する、でもその先への前進の邪魔はさせない。 

BS:では、あなたのタトゥーについてですが、作品中にタトゥーに対する憎しみ、後悔やそれこそ恥から腕を隠して、かつて自分がもっともなりたくなかった、自分をあれこれ判断してきたような人達にまぎれていくというものがありましたが... 

SCOTT:「My Shoes」という作品だね。自分ではソーシャル・カモフラージュとよんでる理論について書いたものなんだけど。上位階級の連中の中にこの姿のまま入って行っても誰も相手にしてくれないだろうけど、ちゃんとしたシャツにネクタイをしめて行けば迎え入れてもらえる。その作品は基本的に「自分を招き入れたくない輪の中に侵入することを恐れるな」ということを表現している。そういう輪の中にいるからこそ自分という存在の危険度が増すと思いたい。俺はとんでもないくらい上級階級の連中ともつるむし、逆にいわゆる下の方にいる連中ともつながりも持っている。上級階級の方は金でなんとでもなるかもしれないけれど、低い方はそう簡単に出たり入ったりできるような関係じゃない。面白いのは社会の上層にいるような連中はこんな若造がヴィヴァルディやクラシック音楽について少しばかり知識を持っていたり、古典を読んでいたりすることに対して、あるいはいろんなことについて話したいと思っていることを尊重したり、惚れ込んでくれることもある。でもその輪の外で、路上で俺を、このタトゥーだらけのイカレた若造を目撃してしまった日にゃぶっとんでしまう。まるで理解できないんだ。でもそれこそが俺にとってのスリルなんだ。

BS:でもそういった一面はまだあなたの大部分を占めていますよね。今でも「My Shoes」で書かれていたように何かを隠して生きていかなければならないと思っていらっしゃいますか? 私も作品を読んで自分が似たような境遇をくぐり抜けてきたのを思い出しましたし、それは決して楽しいものではなかったと思います。 

SCOTT:自分もその一員だった青春時代への警告詩なんだよ。好きなようにやればいい、でもいつかその責任を取らされる時がくるぞ、てね。

スコットが「友情こそが最高の愛だ。だってどうしてあんなろくでなし共を好きでいられるのか理由が全然分からないんだから」といったことを話している間にテープは終わってしまった。そのあとも10分ほど話したが二人ともトイレに行きたくなり店を出ることにした。大量に寿司が売られている界隈にビールと共に連中を残して私は友達とアニメとアイスクリームと洒落込むことにしたのだった。
http://bitchslapmag.com/2010/featured/scott-bourne-interview-bs-9/

スケートボードとの決別宣言とも取れる発言は少なからずショックではありましたが、果たして「その先」に何があるのか気になって仕方ない。 というかもうこの2、3年ずっとScottの答えを待っている感じです。 ファンとしてはスケートもバンバンして欲しいのですが... とか言ってるとフランスのANTIZから突然ゲスト・ボードも出ていましたね。 SOMAマガジン#12のコラムに書いていた、ヴェルサイユでのJeff Koonsの展覧会を観にいった旅がこのボードのインスピレーションになっているそうです。
http://www.carhartt-wip.com/skate/blog/2010/08/scott-bourne-limited-board-on-antiz-skateboards

あと、Pontus Alvの最新作『In search of the Miraculous』にも短いながらもScottのパートがあります! 
http://insearchofthemiraculous.se/