luecke

夢見る文系スケートボーディング愛好家

PONTUS ALV interview "Concrete Plan" from PLACE #10

ドイツのスケートボード雑誌「PLACE」が快く許可してくださったのでPontus Alvのインタビュー和訳を掲載させてもらいます。
http://www.placeskateboarding.de/index.php?screen=dstore.interviews.entire&PID=3992



Pontus Alv Interview taken from Place magazine with permission
Original Text by Renko Heuer
Photos by Nils Sevensson / Eric Antoine
Translated by Katsushige Ichihashi

Pontus Alv(ポンタス・アルヴ)が何かを表現する時、彼はいつも自分がしてきたことのみで声をあげる... スケートし、違法なスケート・パークを作り(マルモにあったSavannah SideやSteppe Sideのような)、写真を撮り、映像を撮る。彼の作品「The Strongest Of The Strange」(2005年)を観た者なら、この活動的なスウェーデン人の活躍がそれだけにとどまらないことをすでに知っているかもしれない。このウォール・ライド嗜好家は編集者やキュレーター(Stefan Marxらが参加したアート・ショー「Le Boxx」など)としても活躍し、現在では自分の地元を離れないどころかマルモ・ファンを自認するにいたり、自身の家族の記録を撮ることに精を出している。そんなPontusにインタビューを申し込み、次の映像作品や合法的なスケート・パーク、海に浮かぶランプや樹上スケートボードなどについて語ってもらった。

___ではまず簡単な質問からはじめましょう。相変わらず忙しそうですが、今は何に取り組んでいらっしゃるのですか? 

PONTUS: マルモでまた新しいスケートパークを作っているところなんだ。かなり大かがりなプロジェクトであと数週間はかかりっきりになりそうだよ。800平方メートルほどの大きさで、僕はパークのデザインと実際の現場仕事にも携わっていてやることが山積みで。でもこうして公にコンクリートを使って何かを作るのはいいものだね。

___話も施設もかなり大がかりなようですね。

PONTUS: そうだね、場所がまた最高なんだ。マルモの郊外なんだけど、海から50メートルのところでロケーションは完璧だね。だってそぐそこが海なんだよ!? むかしも同じ場所にスケートパークがあったんだけど、ランプが木製だったからもう全然使い物にならなくてね。そこで僕らが市からその場所と新設のための費用をもらうことができて好きなように作り直しているんだ。建設クルーの中にはもう50以上もの大がかりなスケートパークを完成させたオーストラリア人が2人いて彼等に現場監督をやってもらっていて、僕と友人でデザインやプロジェクトの進行役を務めているというか、構想をねっていざとなると仲間をよんできてコンクリ・ミキサーのスィッチを入れる、という感じかな。でも例の2人がずっと目を光らせてくれているよ。僕はこれまで何個もコンクリート製のスケートパークを作ってきたけど、今回のプロジェクトとは比べものにならないからね。今回はちゃんとした機械も使って厚さ15センチのコンクリート層とバカでかい鉄筋を使ってプロの仕事を要求されているからさ。本当に大変だよ。朝6時から作業を開始して10時間から12時間ぶっ通しで作業をすることもあるよ。あとは完成を目指すのみというところまでは漕ぎつけたけどね。はやく終わらせて夏を満喫させてもらうつもりだよ。

___はやくそのパークで滑りたいでしょうしね。

PONTUS: うん。でも結構滑られる部分もあってたまにちょっとしたセッションもしてるよ。でもまだまだやらなきゃいけないことがたくさん残ってて。

___なるほど。このパークの前のプロジェクトにあたるのはバーゼル(スイス)にある「Black Cross Bowl」だったのでしょうか。

PONTUS: そう、あの十字架のボウルがこのパークの前に手がけたプロジェクトのひとつだったね。

___そして「Le Boxx」もありましたよね。それもかなり最近のプロジェクトでしたよね?

PONTUS: あれは最高にクールなプロジェクトだったし、展覧会も良かったよね。ちなみにあの時に作ったランプはまだ残っているよ。数週間前に滑ったばかりさ。それ以外には2005年から次のビデオ(映像作品)にむけて作業を進めている。もうすでにかなりの量を撮影したり、素材を集めたりしてきたけれど、このプロジェクトに関してはいつ完成するのか自分でもわからない。僕のビデオはいつもはじまりも終わりもないドキュメンタリーみたいなもので作業を続ける中で自分の人生や街中で起こるできごとを捕まえようとしているからね。シーンや人の行い、そして自分達で作るスポットでのできごと。たとえば、最近まで自分のボウルにかなりの労力を注ぎ込んだのに残念ながら何人かのキッズにランプを壊されてしまって。

___え?それはSavannah Sideの次に作ったSteppe Sideのことですか?

PONTUS: その通り。

___そんな!今回はまた何が起こったのですか?

PONTUS: まぁ、ボウルを潰そうとする動きは何度もあって、たいていは浮浪者のしわざで。今回なにが起こったのかは僕も正直完全には把握していないんだけど、ある晩ボウルに忍び込んで一部を破壊した者がいて、その数日後にまた誰かやってきて残りを全部やっつけちゃってくれて。キッズ数人なのか浮浪者なのかは分からないけれど、たしかなのはやつらが夜中にすべてを瓦礫の山に変えてくれたことさ。やり口から見て計画的だったような気もするよ。

___でも一体どうやって!? だってコンクリート製でしょ?

PONTUS: たしかにコンクリートだけど、僕らが自作するようなコンクリ・ランプって案外もろいんだよね。簡単に粉々にできるよ。拾ってきたような安っぽい木の枠組みの中にゴミと泥ををつめてコンクリートで薄く覆っているだけの代物だからね。鉄筋で支えているわけじゃないし、コンクリと言っても厚さは5センチ、あっても10センチ程度。ちゃんと頑丈なランプをつくるなら鉄筋が必要だよ。それが最近僕が学んだことさ。鉄筋はまさにランプの骨格にあたるわけで、やはり必要だね。それに僕らが自作する違法なプロジェクトに使うコンクリなんてそのスポットの地面を掘った砂でできてるからね。スケートする分にはそれでも問題ないけれど、今取り込んでいるパークで使っているコンクリートとは比較にならないよ。

___では、あなたはコンクリートのプロから得た経験やプロならではの知識を今度はまた自作のランプに活かそうとしていらっしゃるのでしょうか。今度はそう簡単に自分達のスポットを潰されないように。

PONTUS: う〜ん、むずかしいね。やっぱ別モノかな。かたや違法な自作のプロジェクトで思いついたらちょっとしたゴミでその場に作ってしまう。予算も何も無しで、まさに他にはない喜びを見いだせるスタイル。そしてかたや鉄筋も使って、材料はすべて運び込まれて適材適所で進んでいくようなお金のかかるプロのスタイル。今回、ちゃんとしたやり方をいちから学び直せる機会を得られたのは最高だったと思ってるよ。だからまぁ「両方」とも好きだ、という感じかな。とは言え、内心では違法で間に合わせ的につくる自作スポットの方に気持ちはあるんだろうけど。デコボコで即興みたいに作ったものにはゲットーな魅力があるし、そういうゴミみたいなランプを滑る方が楽しいよ。



___ベルリンの新しいコンクリ・スポットに行ったことがありますか?

PONTUS: 残念ながらまだ行ったことはないけどJan Kliewerが何枚か写真を送ってくれたよ。かなり良さげだよね。こういうものがベルリンにもできたのはいいことだと思う。多分僕のビデオ「The Strongest of the Strange」が何かを引き起こしたんだろうね。あの作品を発表した後にヨーロッパ中から数え切れないくらいの(自作スポットの)写真が送られてきたよ。日本からも来たくらいさ。もちろんそれ以前だって人はコンクリ・ランプや自作スポットを作っていたわけだけど、僕のビデオがコンクリートを使うのは実は簡単なことで別に2トン・トラックとかいらないんだよってことを見せたのかも知れないね。別に自分がムーブメントを引き起こしたって言いたいわけじゃないよ。そんなわけないよ。でも何かしら貢献できた気はする。あのビデオはみんながいつもバーンサイドのまねをする必要はないってことを見せたと思う。もっと小さいものでも構わない。木だけで作ってもいいし。ゴミをつめてコンクリートを上に塗りたくって完成!みたいな。少なくとも僕たちはそうしたよ。コンクリート・パークを滑りたかったけど、周りにはなかった。だからとりあえずやり始めてどうにか自分達のスポットを作り上げたんだ。

___ちょっと話題をビデオに戻させてください。たとえば前作「The Strongest of the Strange」の制作にはどれくらいかかったんですか?その経由から次作の完成が大体いつくらいになるのかを予測することはできないものでしょうか? 

PONTUS: 前作は4年ほどかかったかな。2002年から2005年だった。でもそれはまったく判断材料にならないよ。だって僕がビデオを作るときに前もって「発売がいついつだから今からチーム引き連れてヤバいトリックばっか撮影しにいくぜ」なんて言わないもの。僕はハードなトリックを撮影することしか頭にないTransworldとかビッグなブランドのようなビデオは作らないからね。最新のトリックになんて興味ないよ。滑るときに毎回撮影するわけでもないし、ビデオに登場して欲しい人に予約を取ったりもしない。まったく逆だね。友達と滑りに行ったり、滑りに行った先で新しい人と出会ったりするのさ。偶然や場といった要素が占める割合が大きいよ。その場その場で「これはカメラがあればいいものになるかも」とか自問自答しながら自分を突き動かすものだけを集めるコレクターみたいな感じ。写真を撮ることもあれば映像を撮ることもあるし、そうやって集めたアーカイヴが十分な量に達したと思えた時にはじめて腰を据えて編集に移っていくんだ。だからビデオは自分の人生に起きたできごとを反映した内容になるんだよね。Steppe Sideみたいなパークを作ればおのずとそれがビデオにも登場するわけ。(いわゆるスケート・ビデオとは)まったく違ったアプローチだよ。

___日々トリックが縦断爆撃のようにファンに提供されている中にあってはかなり新鮮なアプローチですよね。

PONTUS: 僕は自分にも、一緒に滑る人にも何ひとつ強制しない。誰かに「なんかトリックをやってよ。次のビデオに欲しいんだよね。」なんて言ったりしないし、すべてはプレッシャー無しで各人が自分でどこをどのように滑るか決めるべきだ。誰かが僕のカメラの前で自殺行為に挑むならそれも結構、でも僕がその人をそそのかしたわけじゃないからね。その人が自分の決めた理由をもとに行動すべきであって、その時にはじめてその行動が意味を帯びると思うんだ。僕はただの目撃者であって、観察者。その瞬間はカメラの存在だって大した意味を持たないくらいさ。

____あなたにとっていわゆるスケート・ビデオが退屈なものへと変わってしまった瞬間ははっきりとありましたか? あるいはその感覚はゆっくりとあなたに忍び寄ったものでしょうか。少なくともあなたも典型的なプロ・スケーターとして活動していましたよね?

PONTUS: 僕がプロ・スケーターになるという典型的な夢を見て育ったことはたしかだ。15歳でアメリカに渡り、いろんなフィルマーとつるんできたよ。最初は最高だった。「自分のビデオ・パートができたぜ!」て感じで。でもだんだんそれがそう「最高」でもないことに気づきはじめる。すべての時間をトリックにつぎ込んで、いざできあがった映像を見ると「もっとうまく編集できたはずなのに」と思い始めたり、自分のパートがどうでもいいような流れで使われたり、自分の滑りがその前に登場するお決まりのヒップ・ホップ野郎のパートに飲み込まれたりしてモチーフすらないようなことになってしまうんだ。そんな典型的なビデオには空気感も生まれないし、なにも訴えかけてこない。トリックのことしか頭にないから思想や理念が欠けているんだ。だからある時点で僕にはそういったことが退屈にしか思えず、もはやプロ・スケーターを続けられないところまできてしまった。もうなんの意味も見いだせなくなった。すべてが自分とは関係ないものになってしまったよ。でもそこで僕は自分のビデオを作っちゃえばいいんじゃないか、と思えたんだよね。もっと違うことを表明したかったし、他には表現しようがないことがスケートボードに関してたくさんあったから。だってトリックだけじゃなくて、その周りに存在する自分の気持ちを動かすものすべて、感じることすべてこそが大事なんだよ。僕は人生そのものがスケートボーディングに映し出されるとすら信じている。いい日だったのか、ついてない日だったのか、君がハッピーなのか、落ち込んでいるのかといった要素は全部スケートボーディングとつながっている。人は自動的にそういった感情をボードの上で表現してしまうものなんだよ。

___絶対そうですよね。

PONTUS: とは言え、僕だってたまにはハードなスケート・ビデオを観たくなるよ。全否定しているわけじゃないんだ、ただその割合がまちがっていると思う。スケートボーディングはもっと大きな文脈の中で提供されるべきであって、映像の切り目をもっと注意深く観察してトリック以外の要素をフェードアウトさせないようにしないと。



___あなたがアメリカから戻ってきて、自分にとって大きかった夢が空気のように消え去ってしまったと認めるしかなかったときの気持ちについてきかせてください。

PONTUS: 正直、かなり悲しかったよ。でもアメリカっていうのはそういうものなんだ。そこにいる時はすべてが良く思える。少なくともしかるべき人達と一緒に、しかるべき町いて、良いスポンサーがついて、という風にものごとが進んでいる時は、という条件付きだけど。他の国でも同じなんだろうけど、アメリカだと特にそういった条件が重要になると思う。最初は僕も楽しんでいたよ。でもその内に多くが変わっていく。ちょっとホームシックにもなる。そして夢は終わっていくんだ。そりゃスケートするだけでお金がもらえて、世界中を旅できるなんて最高だって誰もが最初は思うだろ? でも自分の心に素直なままでそのレベルでやっていくとなると構図はガラッと変わってしまう。君に課せられるプレッシャーと責任が楽しみをすべて奪ってしまうんだ。ヨーロッパに戻ってから僕はまずClicheに入って(プロの生活を)続けてみたものの、ヨーロッパだってアメリカと同じだと気付くまで長くはかからなかったよ。今となってはアメリカとヨーロッパに違いはひとつも無いとさえ言い切れるよ。高価なグッズ、トリック、プレッシャー、お金、強制... 僕はただスケートそのものをするためにそんなものは全部捨て去るしかなかったんだ。友達と一緒に、あるいは自分ひとりで強制や義務感ぬきでスケートしたかった。

___気持ちは分かります。ただそういった業界との決別以降にもスポンサーはついてくれましたか? 

PONTUS: Clicheを抜けてからはCarharttとEmericaと契約を結んだ。もうこれから僕は自分がしたいことしかやらないと宣言し、それでも僕を信じてくれて、僕を支えてくれるというならスポンサーになってくれて構いませんよ、いやなら結構、という感じで。でも契約はすでに何年間も続いていて、どうやら僕のやっていることに満足してくれているみたいだよ。特にCarharttとはいい関係が続いている。いろんなプロジェクトを一緒に実現してきたし、ただのチーム・ライダーというよりもひとりの人間として支えてくれている。基本的には僕が提案するプロジェクトはすべて支援してくれているよ。今作っているパークにしてもそうだ。もう僕にとってはこれ以上理想的な状況なんて想像もできないよ。十分な自由が与えられている上にスポンサーのおかげでプロジェクトを実現できるんだから。

___本当に夢のような話に聞こえます。

PONTUS: だからって僕もただふんぞり返ってスケーターとしてお金をもらってるだけじゃないよ。一生懸命に働いている。パークを作って、ビデオや写真を撮って、アートワークを作って、レイアウトもするし、広告も作るし... プロ・スケーターでここまでこうして自分を表現し、コミュニティーに貢献しようとする人は少ないと思うよ。たいていの人はお金のためだけ、自分のためとか商品を売るためにスケートしてるよね。でも僕はただただスケートボーディングを愛しているからこういうことをしている。ある時点で僕はスケートボーディングに恩返しをしていかなきゃいけないところにきたと実感したんだよね。今は人にインスピレーションを与えて、新しいアイディアへと導いてあげたい。たとえ自分に一銭も入ってこなくても人を喜ばせるような仕事をしたい。そういった仕事こそが自分に一番多くのものを与えてくれる。

___カメラなどの専門技術は自己流で学んだものですか? あるいは学校などに行かれたのですか?

PONTUS: 基本的には高校を卒業しただけだよ。その後に1年間、写真関係の学校に通ったけれど、それは役に立ったね。スケート以外に同時になにか仕事などをするのは絶対いいと思うんだよね。今みたいに朝早く起きてしなきゃいけないことがあるのは気持ちのいいものだよ。こういうルーティーン的な感覚はただのプロ・スケーターには欠けてるよね。だってプロが朝8時に起きてスケートしに行く? 8時〜4(16)時で滑るの?

___9時〜5時だったり(笑)?

PONTUS: でしょ? ツアー中ならプロでいるのも悪くないかも。それでも基本的にはどこかで何もすることなくすわって待っている時間がほとんどだよね。僕は絶え間なく新しいことを体験していたいし、いろんなことを試してみたい。話を学校に戻すと、1年学校に戻って写真を少し、それからフォトショップイラストレーターといったコンピューター関係の授業もとったけど、ほんとそれくらいだね。あとはその方面で働いてる友達がたくさんいるからいつも色々と教えてもらってる。ただコンクリートの扱いに関しては完全に独学。まぁ日曜大工の延長とでも言うか。

___ちょうどツアーについての発言が出たので伺いたいのですが、モンゴルがやはり今までスケートした国の中で一番強烈でしたか? 
PONTUS: たしかにモンゴルはすごかったし、どことも比べものにならない。もう両極端なんだ。悲壮な街角もあれば素晴らしく美しい自然もあって。街中は激烈に厳しい状況なのに(郊外の)自然はまったく逆で。まぁアメリカにはモンゴルの街中よりもずっと危険な区域もあるし、モロッコも結構あやしかったからモンゴルが一番とは言えないかもしれないけれど。

___他には最近どんな所へ行かれましたか? 次の作品に登場しそうな国やスポットがどこになりそうか興味があります。

PONTUS: 実は最近はあまりあちこちに行かなくなったね。なんかもう昔ほど楽しめなくて。

___それはまた意外ですね。

PONTUS: 自分でも不思議だよ。昔はひっきりなしにツアーしていたからね。それが原因でもういいって思っちゃったのかも知れないけれど。旅の間はずっと探し続けなきゃいけないような感覚なんだよ。ここでスポットを探してあっちで良さそうな場所を探して、道中は常にせかされて。やっとスポットを見つけたと思ったらちょっと滑るだけで次に移動。そんなことではどのスポットに行っても同じようなトリックしかやらなくて成長できないよ。僕は今マルモでの生活を楽しんでいる。自分のしていること、生き方にも満足している。故郷であるこの町を愛しているし、もう離れたくないくらい。この10年間が素晴らしすぎたね。町はものすごく変わったけど、僕たちも色々と働きかけたし、単純に今この町に住んでいることが楽しい。それにこの地域内という制限をあえて楽しんでいるよ。自分の(行動)範囲を規定した方が無計画に世界中を飛び回るよりも自分にとって意味があるものにより集中できる。自分の時間はプロジェクトの実現に費やしたい。ひいてはそれが自分のスケートボーディングにも大きく影響するんだ。ここには自分のスポットがあってじっくりとそこで試したいトリックについて考えることができるし、いつでもそこへ行って実際に滑ることができるんだから。ここにある制限された可能性が好きだ。えてしてがんじがらめになっちゃうだけの多すぎる選択肢の中よりもずっと多くのことをやれる気がするね。

___たしかにそういった制限の大切さは理解できますが、まさか本当にずっとマルモにいるというわけではないでしょう?

PONTUS: もちろんたまには出かけるよ。ただ昔ほど喜んで遠くまでは行かない。やっぱり近くがいいね。

___コペンハーゲンとか?

PONTUS: そうだね、たとえばね。それか町から1、2時間のちょっとしたロード・トリップに行くとか、ハンブルクとかドイツ北部まで行ってみるとか。でもね、やっぱり地元がいいんだよね。ヨーロッパ北部が好きなんだ。人とこの辺の人の気質が好きで他には何もいらないよ。

___スケートボーディングに対する考え方も旅と同様にこの数年でガラッと変わりましたか? 

PONTUS: 自分が昔スケートボーディングに対して感じていたものと今、自分がそれから得る感覚はもはや比べものにならないね。でもね、僕は未だに同じ友達連中と滑りに行くんだ。滑り始めたのは21年前だけど、今の連中とはもう15年ほどになる。だからみんなで滑りに行けば15年前と同じヴァイヴなんだ。気分は変わらない。みんないい友達だからあれこれ考える必要もないし、なにもかもうまく行く。その一方で、今は滑るためにはできるだけスケートボーディングから離れなきゃいけないんじゃないかとさえ思うよ。情報も製品もグッズも溢れていてすべてを見渡すことができないよね。ユー・チューブにXゲームに百万個のパーク、テレビ番組、コンテスト、テレビ・ゲームにブランドも数え切れないくらいにあってみんな各々ビデオを発売しちゃうし、もうワケが分からないよね。情報も多すぎ、スケーターも多すぎ。すべては昔よりも大きくなったけれど、もはや人がスケートボードと関係を築くことすら困難になってしまった。自分がTony Hawk派なのか違うのか、いちいち立ち位置を考えなきゃいけないんだもの。90年代初期はすべてがもっと簡単で僕もスケートボーディングに共感できたよ。あったものと言えば「H-Street」にBlindの「Video Days」、PowellとかSanta Cruzのビデオくらいで、どの会社も年に1本ビデオを出して、あとは雑誌が何冊か。それで全部だったよね。僕はそれで十分だったよ。最高だった。今ではもはやそんな単純なものではなくなってしまったよね。幸い僕は自分にとって何が重要かをまだ把握できているよ。たとえばKrookedからのGonzの新しいビデオは絶対観たいし、あと何本かあれば十分。

___つまり「Fully Flared」なんかだとやりすぎ、ということですか? 

PONTUS: いやいや「Fully Flared」は最高でしょ! Mike Carroll、Rick Howard、Guy Marianoはとんでもないよ。Girlファミリーは常に最高の仕事をしていると思う。Deluxe系列のブランドやAlien Workshopもそうだね。それに雑誌をいくつかとウェブが何個かあれば十分なんじゃないかと思うんだ。でないと選択肢に巻き込まれて何もできなくなっちゃうよ。その点においてはスケートボーディングは決定的に変わったと言えるし、僕の立場も同様だね。今となっては自分がスケーターだと言うと人がみんな違うものを連想しちゃって困ってしまうくらいさ。スケートボーディングが自分にとってどうあるべきかをよく考えて、(理想を見つけたら)それを放さないことだね。

___ではまったく共感できないものという何になるんでしょうか。

PONTUS: 「Life of Ryan」かな。あれよりひどいものが見つかるとは思えない。メインストリームにたどりつくだけであんなことが起きるなんて不思議だよ。ある日突然キッズはスケートボーディングといえばTony Hawkか「Jackass」しか連想しなくなるんだから。でもそれしか知らなかったらそれ以外のものはもうそこから生まれてこないよ。僕はみんなの前に立ちはだかってスケートボーディングのあるべき姿を押しつけるつもりはないけれど。だってスケートボーディングは完全に開かれた自由なものであって、誰もが自分のしたいようにできるものだから。僕はスケートボーディングが自分にとって何を意味するかしか言えない。キッズがテレビゲームでしかやりたがらないとか、そんなことに対して怒りをぶちまけることはできないんだ。Shecklerを見たいというならどうぞ。



___ではスケートボードの世界でまだ成し遂げたいことは残っていますか? 今までずっとやってみたかったけれど、まだ実現にいたらなかったことなどありますか。

PONTUS: 特にないけれど、自作のスポットをもう1歩押し進めた姿に想像をめぐらせているよ。スケートボーディングを違う場に持っていきたいんだ。たとえば使われなくなった古い工場の中とか、違った環境に。スケートボーディングをまったく新しいコンテクストの中に創造していくというアイディアが好きなんだ。船の上とか。海に浮かぶスケート・パークでヨーロッパ中を旅するんだ。バーやグリルもちゃんと付いてて、アムステルダムにセッションしに行ったかと思えばしばらくするとイギリス沿岸部に現れて次のセッションになだれこむ、とかさ。

___いやはや、最高ですね。

PONTUS: もちろんただのアイディアなんだけど。でもあんまりしゃべらない方がいいかも。だって誰かにアイディア盗まれちゃうかも知れないよ! でもあと良さげなのがツリーハウスみたいなパーク。ランプとか全部樹上にあって。

___なんだか危なそうですが。

PONTUS: そりゃセーフティネットくらいは付けないとね。でもたまにわざとネットの上に落ちたりしたら面白そうじゃない? 少なくとも見た目は最高だと思うな。レーンとかぎりぎり滑れる小道が枝に這わせてあって。スケーターじゃない人が見ても衝撃を受けるようなスポットを作るという発想が好きなんだ。

___他にこれからの数ヶ月に予定されていることは何かありますか? 

PONTUS: まずはさっきも話したパークを完成させることだね。あとちょっとスカンジナヴィアを旅行したり、ちょっと撮影したり、ビデオの作業をしたり。ひょっとしたらハンブルクに行ってStefan Marxとまた何かやるかも。まぁ、いつもと同じことだね。作って、滑って、人に会って、撮影して。

___でもそれが一番いい計画に思えますよね。インタビューありがとうございました。



インタビューで言及されているPontusが手がけたスケートパークはこちらのSibbarp Skateparkのようで、夏に無事完成〜オープンを迎えておりました。
http://www.carhartt-streetwear.com/skate/blog/2008/09/impressions-from-the-sibbarp-skatepark-opening
http://www.carhartt-streetwear.com/skate/blog/2008/08/sibbarp-skatepark-malmoe
http://www.bryggeriet.org/skate/article.php?id=1278

10歳で父の死を自ら看取り、スケートボードに生きる道を託した彼の壮絶とも言える人生、そしてそこをくぐり抜けて今、自分の人生、スケート、アートに生きるPontusには畏敬の念しか生まれてこないです。 スケートボード・シーンにあっては決してドル箱的なスターとは呼べない彼がCarharrtからこれだけ手厚くスポンサーされているのも頷けます。 制作中だという次の映像作品が楽しみでなりません! つか単純にこんな濃いインタビューが存在してくれて嬉しいです。 少しでも皆様にこの喜びをお裾分けできれば幸いです。 (Luecke イチハシ)