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夢見る文系スケートボーディング愛好家

SCOTT BOURNE interview from KING SHIT

インタビュー企画第3弾、カナダのウェブKING SHITに2008年末掲載されたScott Bourneのインタビューです。 再度コンタクトしてみましたら承諾を頂けました! ただ翻訳に挑むときに初めて気付いたのですが、このインタビューはどうやらメールで行われたようで用意された質問にScottがひとつひとつ答えているだけであるために話しの流れが少しちぐはぐな箇所もあります。 でもScottの発言はいちいち強烈でやっぱり面白い! オリジナルのウェブには写真もたくさん載っていますので是非そちらも合わせてお楽しみ下さい。
http://www.kingshit.org/article.php?entry_id=133 



SCOTT BOURNE interview taken from KING SHIT web with perimission
Original interview by Ryan Stutt
Translated by Katsushige Ichihashi

誰しも時おり自身が西洋文化から切り離されたような感覚を覚えることがあるだろう。しかし、それに向き合い、心地よい母の元から離れてより意味のあるものを追求する勇気を持つ者は少ない。5年前、スコット・ボーンは(他人がうらやむほどではないにせよ)安定したサンフランシスコでのプロ・スケーターとしての生活を捨て、「書く」ためにフランスに移り住んだ。それ以降も何度か彼のことを耳にするも、基本的にはアメリカのスケートボード・メディアからはほとんど無視された状態にいた。実に勿体ない。彼ほど自分の意見をはっきりと持った、弁解を必要としない者はいないし、この時代に詩集を出すほどなのだから(いい意味で)狂っているのに誰も話を聞こうとしないとは... では私がボーン氏と少し対話をしてみよう。

___イラク侵攻をめぐってフランスがアメリカに意義を唱えたせいでfrench fries(フライド・ポテト)をfreedom firesとよぶほどになった時期にパリに引っ越されたのはアメリカ国民としては国に対して示せる最大の「fuck you」のように思えますが、なぜあえてフランスだったのでしょうか?

SB: french fries(フライド・ポテト)の発祥はフランスじゃなくてベルギーだ。それだけでもいかにアメリカ人がフランスについて無知かを露呈してる。フランスどころか自分の国境の外側については何ひとつ分かっちゃいない。アメリカ市民の約7%しかパスポートを持ってないそうだ。てことは愛国者のリンゴ頭共はオレンジを見たこともないのに自分達の方が上だと思ってやがる。おまけに地球で一番のフライド・ポテト消費国ときてる。せめて脳が胃に見合う大きさだったらいいのに!

___基本的にものを書くプロセスがデジタル化しているこの時代にあえてタイプライターを使うのはなぜですか?

SB: タイプライターは音楽を奏でてくれるからさ。俺に歌いかけてくれる。俺はキーの上で手を振ってシンフォニーを指揮しているのさ。それにタイプライターには力が宿っている。それに触れることで自分が書いているんだってことを実感できる。2008年現在、いまだに紙はデータを保存する最良の方法だし、その情報を読み取るのにその書類を作った機械も必要としない。(文字さえ分かれば)誰だって印刷されたものを見てすぐに分かる。将来、君のCDやDVDやデジタル・ファイルやハード・ドライブは今の8トラックみたいなものになってしまうだろう。ソフトを持っていてもそれを読むための機械がなくちゃ意味がないし、念のために言っておくけどデジタルなものは永久にはもたないし。そこで人はいつも「もしも家が燃えちゃったらどうするの?」て言うんだけど、救いようがないよね。君の知り合いで家が全焼した人間て何人いる? そして自分に聞いてみて欲しい:コンピューターがクラッシュした人間を何人知ってる?仕事や作品や写真をすべて失った人達。な?コンピューターってのは間違いなくクラッシュするものなんだよ。全部。君のも、俺のも、教皇のもさ。そりゃ、俺の家は燃えるかも知れないよ。でも家が全焼したらコンピューターだって燃えちまうさ。

___では、あなたの小説について聞かせてください。ひとつは執筆済みで、今また新たなものに取りかかっていらっしゃるとのことですが、2つの作品はまったくの別ものですか? あるいは共通したテーマを追求されているのでしょうか? 

SB: テーマは共通しているね。1つ目はサンフランシスコを舞台としていて、ホテルのボーイなど、金持ち相手のサービス業を生業とする貧しい詐欺師グループの話。いかに彼等が金持ち共を出し抜くかを描いている。アメリカのどの大都市にも見られる富める者と貧しい者、その両極が交わるのがボーイというサービスを通してなのさ。ラブ・ストーリーでもあり、悲劇でもあり、この時代の空気を反映してくれてること願ってるよ。サンフランシスコでの10年間を一緒に過ごした仲間達がベースになっている。もうひとつは自分が育ったノース・キャロライナの田舎が舞台になっている。子供時代を一緒に過ごした5人組と彼等の中で交わされた約束、真夜中の謎の電話、仲間の自殺といった話で主人公が12年ぶりに故郷の小さな農家のコミュニティに戻ることになる。これも暗くてある意味ラブ・ストーリーだね。愛といっても、幼なじみ達の間での愛。そして逃れることはできないと分かっているのに南部での貧しい暮らしから何とか抜け出そうとしている絶望感についての話。こっちは自分の幼なじみ達がベースになっているけど、最終的には(友達の人柄やキャラよりも)彼等との関係や一緒に経験したことを通して学んだことや思ったことの方を作品に込めた。どちらもただの回想録ではなく、経験を元にして書いている。

____出版の予定はあるのでしょうか?

SB: 1つ目は完成から3年経っているけど、最初に出版しようとした時のエージェントや出版業界との苦い経験以来、手つかずのままなんだ。幻滅させられて、当時は特にお金にも困っていなかったから無理に出版まで漕ぎつけようとはせずに原稿を机から下ろしてそのまま2つ目の執筆を始めたんだ。他にもいろんなところで原稿を書いていたし。頭の中にあったアイディアをただ書き続けていたかったんだ。当時はスケートボードで十分に稼げていたから出版契約で悩まずにスケート・ツアーの合間にできるだけたくさん机の前で過ごすことにした。いろんなエージェントや出版社の人間が原稿を読んでくれて、興味ありげなそぶりをしていたけど、みんなして校正が必要だって言うわけ。でもやつらが俺の作品にしようとしていたことはもう完全に「無理」て感じで。現代文学と出版業界には致命的な欠陥があると思う。過去の偉大な作家達にはそれぞれ独自のスタイルや言い回し、「節」があったからこそ後生の人達から評価されただろ? スペルや文法がおかしかったら出版社は編集者に多少の手助けはさせたと思うけど、今や完全に状況は変わってしまったみたいで、そういう表面上の修正ばかりに躍起になって誰も深層に目を向けないんだ。これこそが今日の文学の最大の問題点だと思う。教育を受けた、完璧な文章を書ける奴ばかりが業界に揃っているけど、そのせいで経験から直に書くようなディープな作家はエージェントにつけいる隙もない。スペルや文法が間違っていたら最初の段落も読み終わらないうちにゴミ箱行きさ。しかも業界人は大学の授業に出てきた作品くらいしか読んでないときてる。俺の文章の引用も理解できない程度なのさ。現代文学に新鮮みがなくなって画一化してしまっている原因のひとつだな。そして失読症だった俺の教育レベルというか無学さのおかげで自分の文章は編集者にとっては悪夢そのものなのさ。でも作品は本物だしちゃんと価値もあるし、出版契約のために自分の声を潰されるなんてごめんだ。自分に合った特別な会社や人としか契約を結びたくない。ところが今や破産寸前で来年生きていくためのお金を工面しなきゃいけないから重い腰をあげて編集を手伝ってくれる人を雇ったよ。でも今まわりで出版されているものよく見てみろよ。何がベストセラーなってる? 何が店頭で平積みされてる? ぞっとするぜ。世も末だろ。

___これまで目にしてきたあなたのインタビューはすべてその「苦悩の作家像」にしか注目してこなかったように思えるので、ちょっとその神話を崩してみたくなりました。一番最近あなたがした笑えることは何ですか? 

SB: スケートボード雑誌はゴシップだらけで週刊誌みたいになってまったからな。今これが売れてる、その裏のドラマだとかイメージだとか... 全部ゴミだ。紙面の広告を見ろよ、スケートボードの要素が見当たるか? 雑誌が俺に話を聞きたがるのは俺が話題になると思ってるからだろ。自分の発言には責任を取るし、受け取る側の判断はどうであれ、俺には思想も意見もある。他人を怒らせることもなんとも思わないから何かと注目を集めるわけ。インタビューのせいで自分のデッキの売り上げが下がる心配なんてしたことないし。ところがこれまで自分が尊敬するスケーター達が俺の発言について褒めてくれるどころか、どうやったらそういう風に自由に発言できるのかアドバイスを求められることが何回あったか! みんなインタビューで発言するのが怖いんだ。自分の声を届けられる立場にいるのにデッキの売り上げが気になって自分の意見も言えないなんて! 世間が俺が笑うこともないと思ってるならそれは単に誰も俺の楽しい面についてきいてこないからさ。「苦悩の作家像」にしか興味ないんだろ。でもそれはやつらが作り上げた偶像で俺じゃないよ。ちょっとでも一緒に過ごせば俺がどれだけたくさん笑うか分かるよ。結構笑わせるほうでもあるし。(ジム・)シーボルトにバナナの話をきいてみな、ほんと最高だから。俺の人生は笑いだらけさ。俺ほど人生を楽しんでる奴はいないと思う。しかも俺ほどシンプルなことからでも楽しみを見つけられる奴もいないな。

___現在アメリカを離れているあなたから見て、オバマについてはどうですか? 本国の人達と同じように楽観的な印象をお持ちでしょうか? 

SB: 俺のアメリカ市民に対する絶望は高潔な人物を大統領に選んだくらいでは償われないね。今回の選挙期間中に何度も見聞きしたのは「自分の一票にも意味があるとは思ってもみなかった」といったような言葉だったけど、今ようやく自分の一票の意味を分かったわけだ。これまで投票しなかった人々がやっきになって、やっとホワイトハウスに優れた人物を招き入れられた。投票しなかったせいでこれまでブッシュをのさばらせた連中がやっとふさわしい人物に権限を与えた。でも、もしみんなが当時アルバート・ゴアに投票していたらどんな世の中になっていた思う? ゴアはノーベル平和賞も含めて2000年から数々の人道的な賞をうけてきたのに。こういうこと言ってるとまるで俺が祖国を離れた愛国者のように見えるって? 全然違うよ! 俺は「世界一の国」に蔓延する無感動ぶりと無知から自分を切り離しているんだ。俺は2回ブッシュに反対票を投じたよ。期限ぎりぎりに飛行機でサンフランシスコまで戻って投票したこともあるし、今回だって外国から投票するためにかなり苦労した。そして知り合いでパリに住んでいるアメリカ人には一人残らず投票をすすめた。アメリカを5年間留守にしてるけど、与えられた権利を放棄するつもりはさらさらなかったからね。

___詩は「死んだ」メディアだとも言われますし、人が群がるものでもないと思いますが、今回詩集を出版されたのはなぜでしょうか? 

SB: 君の言うとおりだ。我々の世代は(ヴィジュアル・)イメージに乗っ取られてしまった。目に見えないものは売れない。誰も詩なんて読まないし、最近どこかで読んだけどアメリカ人の2%しか文学に触れていないという統計もあるらしい。そして今週の月曜日には多くの教材やジョナサン・サフラン・フォア、フィリップ・ロスやJRRトールキンといった作家達を発行するあの大会社、Houghton Mifflin Harcourtがしばらくは新作を受け付けないことを発表していた。メディアはイメージばかりを売りつけ、本、とくに詩集にはそういったヴィジュアルな要素は少ないときてるからいつだってセールスはとぼしいものさ。人は何も考えなくなって、読書は頭を使うから疲れるってわけなんだろ。i-PhoneもPussycat Dolls(アメリカのアイドル・グループ)も頭なんて使わなくていいからな。万人に売り込むために結成された専任のプロダクション・チームに作り上げられた歌手なんて見た目をを取っ払ってしまったら誰も見向きしなくなる程度のものなのに。本を開いて読むという体験は半裸で踊ってる女で埋め尽くされたステージを目の前にすることなんかとは比べものにならない。たしかに詩は完全に死んだ。でも何が詩を殺したか見てみろよ。Pussycat Dollsが(ウィリアム・)ブレイクを墓に押し込めるなんて誰が想像してたと思う? 近代人万歳だね。

___あなたの詩集『Cheating On The Metronome』は最近目にした中でも最高の装丁ではないかと思いますが、この装丁への美学もあなたにとって重要な要素だったのでしょうか?

SB: まさにそこ、美学だ! この本で人々の関心をひきたかった。本には上質な質感も与えたかった。価値や意味を持たせたかった。美しい本を作りたかったんだ! たとえ内容を気に入ってもらえなかったとしても、本なんだ。いつかゴミになるのを待ってるだけの雑誌とは違う。雑誌だと自分の言葉や思想まで一緒にゴミになってしまう。願わくば人々の間で何度も回し読みされたり、受け継がれたりしてほしい、本物の本なんだ。同じ食べ物でも器や出し方が違えばまったく違った味になると頑なに信じるタチでね。シャンデリアの下でキャンドルも立てた美しい木のテーブルに素晴らしい陶磁器に盛られた食べ物を銀食器で食べた時の方が蛍光灯の下で安っぽいIKEAのテーブルや紙皿とプラスチックのフォークで食べるよりもずっとおいしくなるはずさ。何と言われようと絶対そうだ。だから俺は読者には自分の言葉に夢中になってもらえるように最高のセッティングを用意したかった。美しい陶磁器で出せたおかげでより深く味わってもらえたらなお良し、てわけさ。

___ものを書くというのは非常に孤独なアートだと思いますが、執筆と普通の生活のあいだのバランスは取れていますか? 

SB: いや、両者は完全に絡み合っていて、バランスとかじゃないんだ。俺は何をするにも常に100%でしかできない。間をとったり、半分のスピードとかが無理で。そんな器用なことができたらいいのにとは思うけど。俺は書き出すといつも寝食を忘れてしまう。シャワーを浴びたり、髭をそったり、トイレに行くことも忘れる。でもその時の気分は最高なんだ。ライターズ・ブロック(執筆を専門とする人が心理的な障害でものを書けなくなる症状)も無いよ。人は書きたくないことを書かされるとライターズ・ブロックを患うんじゃないかな。俺は自分の書きたいことしか書かないし、それに情熱を持ってる。それが俺を苦悩する作家にさせているなら... その苦悩の存在をありがたく思うよ。高い目標やでかいゴールとか言ってるくせに自分の人生をどう生きていいのかすら分からないような人々を見てみろよ。周りの魂の抜け殻共から切り離してくれるなら「苦悩」でも全然受け入れるよ。他人から見て俺を苦しめているように思えるものこそが俺の生きる動機なんだ。

___スケートボーディングの現状についてはどうですか? 

SB: もはやこれっぽちの魅力も感じない。子供時代に自分を魅了していた要素はすべて消え去ったよ。木材を盗んで変なランプを作ったり、結局は縁石ひとつを滑るだけに終わるような、ドリーム・スポットを探し求める隣町への旅の感覚を愛していたよ。冒険、そして初めて本当の友達とよべた仲間達との絆。すべてが健全そのものだった... アーティスティックな感覚と魂と体が結びついて運動(ムーブメント)へと育っていくような。ある意味、武道みたいなものだった。当時は野球、フットボールレスリングをやっていたような体育会系の連中が今ではスケートしてる。みんながスケートしてるのは素晴らしいことではあるんだけど、体育会系特有の競争意識とか、自分が子供の頃にあらゆるスポーツを嫌いになった理由そのものが今度はスケートに持ち込まれてしまった気がしてならない。俺はもうそれでも構わないけどさ。それよりも「嫌われ者」達が次は何を生み出してくれるのかに興味があるな。スケートボーディングを生み出したはみ出し者やネズ公共の精神が次に何を創造するのか? スケートボーディングの変遷に対して反対するつもりはないよ。その歴史の最高の時代に自分も少しは関わっていただけで俺は幸せだ。自分の人生においても最良の時だったし。

___詩集はCARHARTTの協賛の元で出版されましたが、彼等との関係はどのようなものでしょうか? こういったプロジェクトにも援助を惜しまないCARHARTTの姿勢は素晴らしいと思いますが。

SB: 確かに! CARHARTTの事業の裏方には特別なチームがいてね。普段やりとりしている人達ともまた別の「黒幕」とよんでもいいような人も。彼が部下によせる信頼がこういったプロジェクトを形にする情熱を生み出している。僕たちスケーターだけじゃなく、裏でそれを支えて実際にことを運んでくれる人達も含めて、いまやCARHARTTにはすごいチームができあがったよ。チーム内には自由な空気があっていろんなアイディアが交換されている。チームの奴にアホ扱いされることもあるけど、そんな狂ったアイディアでも聞いてもらえる場と自由があるのは素晴らしいと思う。俺たちの間には上下関係とかはない。誰もが発言する権利を与えられている。

___何がこの世界をより良いものにしてくれるでしょうか? 

SB: マナー、自尊心と誠実さ。

___最後にひと言あれば...

SB: じゃぁいつも通り、FOLLOW NO ONE!




http://www.carhartt-streetwear.com/skate/blog/2008/07/Cheating-on-the-Metronome
たしかに装丁、そして本文もScottがタイプライターで打った原稿がそのまま(修正やちょっとしたイラスト〜落書きもそのままに)印刷された詩集の見た目も質感も最高で、単なる詩集というよりもアート本の域に達していました。 内容は... やっぱ暗いというか男女のドロドロした関係とか、自虐的でもある鋭い目線から描かれた世界観。 僕自身、あまり文学や詩には詳しくないので連想できるのはBukowskiくらいなんですが(涙) 発売時に何とかCARHARTTヨーロッパの人にお願いして無理矢理に通販させてもらったのも懐かしい。 今でしたらこちらでもまだ買えるようですので興味のある方は是非。 
http://www.spacejunk.tv/publications.php?noLangue=1
さてScott、次は何をやってくれるのか楽しみですね〜    [Luecke イチハシ]